。」
 それでも二人は、隆吉を連れて、結局出かけることになった。保子はいやに冷かな態度をしていた。周平はそれを横目で窺いながら、隆吉の方をばかり相手にした。
 彼には保子の気持が少しも分らなかった。彼を引止めたり外に誘い出したりする彼女と、何かに苛立って冷淡な素振りを見せる彼女とが、別々なものとなって彼の眼に映じた。もうどうでもいいのだと思っても、それがやはり気にかかった。
 彼女は少し身を反らせ加減にして、先に立って歩いて行った。小さくきちっと背中高に帯を結んで、上から絽縮緬の羽織をしっくりとまとい、真直に伸した手を足の運動に合して振りながら、すたすた歩いて行く痩せ形《がた》の姿は、或る近づき難い冷たさを持っていた。そして彼女は余り口を利かなかった。獣や鳥の檻の前を、一寸足を止めては先へ先へと通りすぎた。周平と隆吉とは後れがちになった。活動を見ても彼女は別に何とも云わなかった。結末近くになると、人が込まないうちにと早めに立ち上った。帰りに物を食べていくでもなかった。
 然し、家に帰りつくと、彼女は菓子や珈琲を出さした。横田をも書斎から呼んできた。見たもののことを面白そうに話した。帰るという周平を引止めて、皆で何かして遊ぼうなどと云い出した。然し周平は疲れきっていた。
「意気地なしね、男のくせに。」と彼女は云った。
 周平は自分でも訳の分らない気持になった。そして隆吉の方へ、淋しい心が向いていった。

     二十七

 周平と隆吉との間は、次第に、教える者と教えられる者とのそれでなくなっていった。隆吉の勉強にあてられてる室で、学課のことはそっちのけにして、ぽつりぽつりと短い会話を※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]んだ沈黙のうちに、永い時間を過した。
 いつも隆吉の方から口を開いた。そして一週間のことを、重に横田夫婦に関係したことを、周平に語ってきかした。
 ――叔父さんと叔母さんとが音楽会にいったので、夜遅くまで起きて待っていたが、何にも持って来てくれなかった。つまらないから黙って先に寝てしまった。すると翌日、叔母さんから絵具を買って貰った。――叔父さんが恐い顔をして一日黙っていた。何を云ってもよく返事もしてくれなかった。後で叔母さんに聞くと、叔父さんは何か考え事をしてるのだそうだった。そういう時は静かにしていなければいけな
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