顔が赤くなりながら少しも酔を覚えなかった。頭の中が冴え返ってくるばかりだった。そして、室の中の光景が、硝子をでも通して眺めるように、淋しくひっそりと感ぜられて仕方がなかった。その冴えた淋しさが更に自分の方へ反射してきた。
彼はいい加減に食事を済して縁側に出た。星も見えない魔物のような夜だった。眼をつぶって暫くじっとしてると――隆吉がやって来た。彼はいきなりそれを捉えて、膝の上に抱いてやった。静かな涙が出て来た。
二十六
頭の中で考えめぐらしたことが、実際に当っては如何に無力なものであるかを、周平は知った。進むか退くかの問題に於て、自分の態度を定める問題に於て、その時々に考え決意したことは、実は、その時々の気分に過ぎなかった。気分が異るに随って、考えもすぐに変っていった。その間に、事実はぐいぐい進んでゆく、凡てを引きずって進んでゆく。そして何処まで進もうとするのか?
周平は、考えると恐ろしくなった。横田と保子と隆吉とを前にして、自分の地位を顧みると、このままでは済みそうになかった。而も自分の意志が無力だとすれば、どうすればいいのか。眼に見えてる破滅を避けるためには、事実の進みを多少なりと正しい方向へ導くためには、もはや、思いきってぶつかってゆくの外はなかった、先へつきぬけるの外はなかった。焦慮しながら事実の後へくっついていくのは愚の至りだった。
彼は大胆に凡てを取り容《い》れようとした。元通り、毎週一回隆吉の質問に応じに来た。横田や保子に対して、あらゆる気兼ねを打捨てながら、平然と――図々しいほど――振舞った。そして遂には自分の心が、強い力のうちに支持されてるのか、或は捨鉢に投げ出されてるのか、彼は自ら分らなくなった。
それを、保子は勝手に引廻した。
隆吉の方の用が済むと、彼女は彼に遊んでいらっしゃいと云った。彼は彼女の側に腰を落着けた。取留めもない世間話をした。夕方になると、御飯を食べていらっしゃいと彼女は云った。御馳走がありますかと彼は尋ねた。その御馳走が出来る間、彼は庭をぶらついたり、寝転んで雑誌を読んだり、隆吉を相手にしたりした。横田と将棋をさすこともあった。食後横田が書斎に退いても、彼は立ち上らないことが多かった。隆吉や時には女中をも交えて、トランプをしたり、五目並べをやった。仕事を済した横田がそれに加わると、帰るのがなお後れた。漸
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