でいた。周平は漠然と或る不安を感じだした。
「生活はどうにでもなるんでしょう。僕はあるだけのものでやっていく覚悟をしています。」と周平は云った。「ですが、今の、話というのは一体どんなことですか。」
「どうって、まだはっきりしたことではないが……漢口《はんこう》の水谷さんから手紙が来たんです。」
そして彼は、机の抽斗から一通の信書を取出した。
周平は差出された手紙を披《ひら》いて読んだ。――初めには時候の挨拶から、毎度井上が世話になる礼が述べられていた。「扨て甚だ唐突の儀に候えど」として本文にはいっていた。支那人の排日熱のため商況が俄に不振となり、加うるに暴動があったため、水谷の店も多大の打撃を蒙って、今後の送金は意に任せないかも知れない、としてあった。やがて恢復の途もあろうけれど、目下の所は全く見当がつかないので、こちらからの送金は出来得る限り心掛けておくつもりではあるが、不時のものとして予算に入れずに、他から学費を得る方法を講ずるよう、井上へもよく申し聞かせ、なお御尽力を願いたい、と認めてあった。「場合によっては貴下の事情も本人へ御話相成、心して進むよう何分の御指導を煩わし度、」というようなことがあって、実は井上へ直接申してやるべきだが、「御承知の如き小心者故」悲観するといけないから、折を見てとくと話して頂きたい、と結んであった。
周平は――我ながらそれを変な気がしたが――大した打撃をも感じなかった。いつかはぶつかるべきものにぶつかったという気持だった。彼は注意して二度くり返し手紙を読んだ。そして野村の顔をじっと眺めた。野村も黙って彼の顔を見返した。
「この後に便りがありましたか。」と彼は尋ねた。
「他のことで一度手紙が来たですが、よほど困っていられるらしいです。それでも、一週間ばかり前に、君へやってくれと云って三十円送って来ました。」
それから野村は暫く黙っていたが、突然こんな事を云い出した。
「手紙の中に、僕の事情も君へ話してきかして指導してくれ、というようなことがあったでしょう。それはね、借金をしてはいけないという意味ですよ。」
野村の語る所に依れば、彼は大学卒業前に少し無駄使いをして高利の金を借り、それがまだ千円余り残っていて、月々六分の利子の支払いにさえ追われてる始末だそうだった。――どうして水谷がそれを知ってるかといえば、知人の令嬢を妻に世話
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