の主人もその時、恐らく同じことをしているかも知れない、などと想像をめぐらしてみた。ふと振向いて、子供の布団を取出した押入の唐紙が、そのまま開き忘れられてるのを見ると、押入の中の薄い壁に穴をあけて「有村さん、」と呼んでみたらどんなものだろうか、などと想像してみた。
「おい、」と私は妻に呼びかけた、「隣りとの間の壁を取払ってしまって、一緒に暮したら面白いかも知れないね。」
 妻は軽蔑したような薄ら笑いを洩らしたが、暫くして何と思ったか、こんなことを云い出した。
「そりゃ面白いかも知れませんわ。お隣りの奥さんは私より綺麗だから。」
「そして隣りの御主人は、僕よりも綺麗だろうからね。」
「それごらんなさい。損するのは私達ばかりですよ。」
「その代り、隣りの方が金持かも知れない。」
「そりゃ当り前ですわ。私達より長く世の中に……働いてきたんですもの。」
 一寸文句につまって、それから俄に見付出された、その「働いてきた」という言葉が可笑しくて、私達は笑い出した。
 が実は笑いごとではなくて、擽ったいような不思議なような、変梃な気持だった。而も私は、隣家の人達と一度も顔を合したことがなかった。どうか
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