つ年上らしく、やはり細君と女中とがあり、子供が二人あった。私だって、もう三四年もしたら、それくらいの年配になり、子供もも一人くらいはふえるだろう。そして両方とも、同じくらいの貧乏さらしい。同じような日々を送り、同じように年老いてゆき、同じ程度の苦や楽を嘗め、同じくらいの小金でも残して、同じように死んでゆくことだろう。そして今現に、朝や晩、私の方で茶の間に集って、つましい食事をしている時分には、隣家でも恐らくそうしてることだろう。両方の生活全体が、同じくらいの日の光を受けて、同じくらいの明るさに輝いてることだろう……。
そんなことを考えながら、私は朝夕出勤の出帰りには、有村道夫とある隣家の表札を、可笑しな気持で眺めずにはいられなかった。表札を取り換えて、両方互に入れ代っても、或は何もかもそのままにして、私達が彼等になり、彼等が私達になっても、聊か不都合でも不自然でもなく、お互の生活が今の通りに落付いてゆくかも知れない。
そして晩なんか、食後のぼんやりした頭で、夕刊を読み終えた眼を薄暗い庭の方へやったり、明日の天気模様を見るため狭い空を仰いだりして、少し冷々する縁側に立っていると、隣家
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