そう答えて彼女は、暫く黙ってたあとで囁くような調子で言いました。
「わたし一人で、生きてる間に、きっと、あの藤に花を咲かしてみせるわ。」
その、生きてる間にというのが、なんだか変だと、保治は感じましたが、それを口には言えませんでした。
「なあに、どうだっていいさ。僕が還って来たら、大きな藤の木を、花をいっぱいつけるのを、あの側に植えてあげるよ。」
「でも、それまでには、あの木にもきっと花が咲くわ。そしたら、押し花にして送ってあげましょう。」
「うん、待ってるよ。」
美代子はじっと保治の顔を見て、それから、向うへ行ってしまいました。
追憶は、ただそれだけのものでした。
草光保治の部隊は二ヶ月ほど国内にいて、それから支那に渡り、あちこちに移動してまごついてるうちに、終戦となりました。保治は妹の手紙によって、美代子の病気が重くなったことを国内で知り、年を越して間もなく美代子が死んだことを国外で知りました。そして死は彼女のことを遠くへぼかしてしまいました。
その細川美代子が、車窓から見たあの白藤の家の背景に、いや、あの白藤の花とひそやかな住居との心像のなかに、立ち現われてきました。
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