忘れるともなく忘れかけていたことを責めるかのように、胸の奥にひたと寄り添ってきました。
 彼女が亡くなったあと、あの藤の木は二回ほど春を迎えた筈でありました。そのいずれかに、果して花をつけたでありましょうか。二回目の春の終りには、あの辺一帯は空襲により罹災して、細川の家も焼けましたので、藤の木も焼けたに違いありませんでした。
 彼女の病死前後のことについては、保治の妹はくわしく知っていました。然し藤の木のことについては、一向に知りませんでした。保治は知らず識らず、藤の木のことを何度か繰り返し尋ねました。妹は怪訝そうに眉根を寄せました。
「藤の木って、いったいどんなんだったの、わたしちっとも気がつかなかったわ。」
 美代子が藤の花のことをなにか言いはしなかったかと、保治はまた繰り返し尋ねました。
「そんなこと、一度も聞いたことがないわ。おかしいわね、兄さん、藤の木ばかり気にして……。」
 妹からじっと顔を見られると、保治はその顔をそらしました。胸の奥が涙ぐましいような心地でした。
「焼け跡に行ってみたら、分るでしょう。ねえ、いっしょにいらっしゃらない。」
 そう促がされて、保治も漸く行っ
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