りに遠い彼女でした。すべてが変りすべてが新らしく眺められる環境のなかで、遠い彼女だけが昔のままの面影を保っていました。

 細川美代子は、少しも人目につかぬ娘でした。普通の背丈で、肥ってもいず痩せてもいませんでした。容貌も尋常で、美しくもなく醜くもありませんでした。性質も温良なだけで、特別な長所も短所もありませんでした。大勢の人中に置いても、見勝りもせず見劣りもせず、つまり、少しも人目につかない娘でした。
 目黒駅近くの閑静な家に、彼女は住んでいました。両親と弟とがありました。戦争前、中日事変中に、兄は召集されて出征していました。
 その目黒の家を、草光保治は時々訪れました。母方の縁続きの間柄でありましたし、美代子の兄の耕一とは友人でありました。耕一が出征してからも、美代子とは気安く話が出来ましたし、弟の耕次が高等学校の入学試験をひかえていましたので、その質問にも応じてやりましたし、蓄音器の、いろいろなレコードもありました。
 ところが、二つの不幸が美代子を見舞いました。
 一つは、兄の戦死の公報でした。乗り込んでいた輸送船が沈められて、彼は赤道附近の太平洋の中に消えたのです。
 も一つは、彼女自身の病気でした。初めは単なる感冒とばかり思われていたのが、肋膜炎の症状を呈してき、やがて、可なりの肺浸潤が発見されました。微熱が続き、食慾が衰え、皮膚が美しく透いてきました。そして彼女は自宅で、閑散な日々を送って静養することになりました。しきりに書物を読みたがりましたので、草光保治はいろいろなものを持っていってやりました。それを彼女は甚だゆっくりと読み、読んだあとから忘れてゆくようでした。同じ書物を数回、間をおいて、謂わば忘れた頃に、繰り返し読むこともありました。
「またそれを読んでるの。」
「ええ、すっかり忘れたんですもの。」
 そのような対話が、微笑のうちになごやかに交わされました。
 ただ一つ、白藤の木に、彼女の心は深く繋がれてるようでした。兄の耕一が応召入隊の前に、植木屋から買ってきたもので、一米半ばかりの古い幹に、真白な花をふさふさとつけていました。それが、鉢に植わったまま打ち捨てられて、次の年に三つ四つの花房をつけただけで、もう蕾を出さなくなりました。その白藤を、美代子は俄に発見したかのようでした。防空壕を掘りに来た人に頼んで、鉢から地面に移し植えてもらい、大き
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