白塔の歌
――近代伝説――
豊島与志雄
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)浮子《うき》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「臣+頁」、第4水準2−92−25]
−−
方福山といえば北京でも有数な富者でありました。彼が所有してる店舗のなかで、自慢なものが二つありました。一つは毛皮店で、虎や豹や狐や川獺などをはじめ各種のものが、一階と二階の広間に陳列されていまして、北京名物の一つとして見物に来る旅行者もあるとのことでした。他の一つは茶店でありまして、昔は帝室の茶の御用を務めていたという由緒が伝えられていました。
この方福山が、四十日ばかり南方に旅して、そして帰ってきましてから、自邸で、十名ほどの人々を招いて小宴を催しました。
方福山は賑かな交際が好きで、人を招いて宴席を設けることはよくありましたし、またそういう口実はいつでも見出せるものでありますが、然し、此度の招宴には何か特殊な気配が感ぜられました。方家の執事ともいうべき何源が口頭で伝えましたところでは、旅行中御無沙汰を致したからというのでしたが、方福山の帰来後既に一ヶ月たってのことでありましたし、また、呂将軍も御出席の筈ですと何源はいい添えたのでした。
呂将軍というのは北京の警備司令でありましたが、その頃、彼について種々の風説が伝えられていました。近いうちに彼は済南方面へ転出するという噂もありましたし、また、省政府筋と常に反目しがちで、急激な武断政略を計画してるとの噂もありました。勿論こうした噂は、ある一部の人々の間にひそかに囁かれただけでありまして、事の真偽は定かでありませんけれども、それが原因でか、或は他に何かあったのか、一般市民の間に不安動揺の空気が次第に濃くなりつつありました。
そういうわけで、方福山の招宴は、人々に一種の印象を与えました。
招待を受けた荘太玄は、その子の一清にいいました。
「私は身体不和ということにして、お断りしようと思う。方さんからは時折、南方各地の銘茶の御厚志にあずかっているが、近頃、あの人の行動には私の心に添わないものがあるようだ。けれども、お前は行ったがよかろう。青年にとっては、いろいろなことを見聞するのが精神の養いになるものだ。」
「それでは、私がお父さんの代理をも兼ねて行きましょう。」と一清は気軽に答えました。
「いや、お前個人として行くので、代理を兼ねるというわけにはいくまい。」と太玄は考え深そうな眼付をしていいました。
ところで、荘一清にとっては、父のことよりも寧ろ、友人の汪紹生の方が問題でありました。
荘太玄は今では、あまり世間のことに関係したがらず、家居しがちでありましたが、その見識徳望の高さを以て巍然として聳えてる観がありました。それ故、呂将軍と共に方家へ招かれるのも不思議でなく、また荘一清は青年ながら、太玄の令息として招かれても不思議ではありませんでした。だが汪紹生はちと別でした。汪紹生は家柄も低く貧しく、ただ荘一清と刎頸の交りを結んでることだけで、方家からわざわざ招待を受ける理由とはなりませんでした。
彼は怒ったような調子で、荘一清にいったのであります。
「僕は万福山さんとは、君のところで紹介されて、それから二三回逢ったきりだ。特別な識りあいでもない。極言すれば、方福山が旅行しようと、旅行から無事に帰って来ようと、旅行中に野たれ死にしようと、そんなことは僕に何等の関係もないんだ。招待される理由が分らん。」
荘一清はなにか曖昧な微笑を浮べて答えました。
「だから、気まぐれな思いつきの招待だろう。ただ御馳走になってくればいいんだ。高賓如大佐も招かれてるそうだ。高大佐とは君は暫く逢わないだろう。僕の父は行かないそうだから、気兼ねする者はないし、高大佐と三人で、勝手に飲み食いし饒舌りちらしてくればいいさ。」
「高大佐も来るのかい。」
「そうだよ。」
「おかしいね。」
「おかしいことはないさ。高大佐は呂将軍の参謀で、帷幄の智能だから、一緒に来てもよかろうじゃないか。」
然し、汪紹生は他のことを考えてるのでありました。それは、彼等の所謂新ヒューマニズム運動の小さなグループに関してでありました。数名の青年を中心に、新新文芸という小雑誌が発行されていまして、そこでは、人類意識のなかに於てではなく民族意識のなかに於けるヒューマニズムが提唱されていました。それが文芸の上では種々の形となって現われ、風俗習慣の方面での解放革新が叫ばれると共に、東洋的自然観の探求などもなされていまして、例えば詩を見ましても、※[#「臣+頁」、第4水準2−92−25]和園の輪奐を醜悪とするもの、天壇の圜丘を讃美するもの、中央公園の円桶に飼育されてる金魚を憐れむもの、太廟の林に自然棲息してる鷺を羨むものなどがありました。或る詩には、紫金城の堂宇が黄金色の甍で人目をくらましながら、その投影で北京全市を蔽っていることを描いて、それを時の政府への痛烈な諷刺[#「諷刺」は底本では「諷剌」]としていました。そしてこの一派は、青年知識層の一部から共鳴されると共に、政府筋の注意を惹き、内々の警告が発せられたこともありました。この新新文芸一派のなかでの最も有力なのが、荘一清と汪紹生だったのであります。荘一清は評論も小説も詩もその他あらゆるものを書き得る自信を持っていて、しかもいつも懶けてばかりいました。汪紹生は真面目な詩人で、生活のため図書館に勤めながら孜々として勉強していました。そして高賓如大佐は荘家の親しい知人で、新新文芸一派に常々好意ある声援をしていました。――それ故、この三人を含めた方福山の招宴には、何か裏面に意図があるかも知れない、と汪紹生はいうのでした。
荘一清は笑いました。
「そういうことは、君の論法を以てすれば、われわれに全く無関係なことじゃないか。方福山にどういう意図があろうと無かろうと、吾々の知ったことではない。」
そして暫く黙っていた後で、荘一清は微笑を浮べていいました。
「それほど君が気にするなら、種明しをしてもよいが、実は、意外なところに策源地があるらしい。然し、そんなことよりは先ず、方福山の招待に応ずると、それをきめてくれなくては困る。それが大切な問題だ。」
「なぜだい。」
「なぜだか後で分る。とにかく、承知するんだね。」
汪紹生は暫く考えてから、はっきり答えました。
「君に一任しよう。」
「じゃあ、行くんだね。」
「うむ、行くよ。」
「よろしい。……そこで、問題だがね。」
荘一清は揶揄するような眼付で相手を眺めました。
「方家の招宴には、陳慧君も出るらしいよ。もっとも、これは君には無関係なことだがね……。」
汪紹生は眼を大きく見開きました。
「なぜ陳慧君が出るらしいかといえば、柳秋雲が出るからだ。」
汪紹生はちらと顔を赤らめ、眼を輝かしましたが、突然いいました。
「なぜ君はそんな持って廻ったいい方をするんだい。」
「愛情を尊敬するからだ。」
それは、汪紹生の或る詩の中の一句でした。荘一清はその一句をいってから、楽しそうな笑顔をしましたが、汪紹生は耳まで赤くなりました。
「僕だって君達の愛情を尊敬することは知っているよ。」と荘一清は快活にいいました。「現にその余沢も感じている。種明しというのはここのことだが、君と僕とを一緒に方家へ招待さした策源地は、彼女にあると思うよ。なぜなら、彼女は僕達に逢いたがっているんだ。ところで、それはまあいいとして、厄介な口実がくっついている。例の、新時代の女性の玩具、あれを持って来てほしいという秘密な使者が来た。彼女にとっては、僕達を逃がさない口実だろうが、僕達にとっては、彼女への義務ということになる。どうだろう、あれが至急手にはいるかね。金はここに用意してきてるが…。」
汪紹生はじっと考えこんでしまいました。
「君から彼女へ手渡すがいいと思うんだがね……。」
汪紹生はなお考えこんでいました。それから突然立上って叫びました。
「よろしい、彼女との約束を果そう。」
柳秋雲の所謂玩具というのは、実は、一挺の小さな拳銃のことでありました。
柳秋雲については、いろいろな説がありますが、それらのいずれもが不確かなもので、いわば彼女は一種神秘な影をいつも身辺に帯びていました。
彼女はその生家も縁者も出生地も不明な全くの孤児で、陳慧君の許で養女なみに扱われておりました。伝えるところに依りますと、嘗て、陳慧君が太沽に行った折、港の岸壁の上で、果物や煙草の露天店の番をしている六七歳の少女を見かけましたが、ふと、その怜悧そうな眼差と気品ありげな顔立とに気を惹かれて、そこに立止ってしまいました。やがて、露天店の主人らしい爺さんがやって来まして、果物や煙草をすすめますと、陳慧君は頭を振って、少女のことを尋ねました。
「この子は、売り物ではございません、預り物でございまして……。」と爺さんは答えました。
そしてその預り物の取引の話が初まったのでありますが、爺さんの語るところでは、少女は一年ほど前、港のほとりをただ一人でさ迷っていたのを、或る船乗りに拾いあげられましたが、その船乗りが大きな貨物船に乗りこんで出かけます折、少女を爺さんに預けたのでありました。ところで、船乗りはそれきり戻って来ませんし、少女はまだ自分の身元を覚えていませんし、爺さんは処置に困りましたが、そのうちには誰かが探しに来るかも知れないと夢のような考えのうちに、港の露天店に毎日連れ歩いてるとのことでありました。
「ですから、私がこの子を探しに来たのですよ。」と陳慧君はいったそうであります。
けれども、この話とても真偽のほどは分りかねますし、とにかく、陳慧君は相当多額の金を爺さんに与えて、少女を引取って来たらしいのであります。その少女が柳秋雲でありまして、秋雲というのは、爺さんか船乗りかがつけた名前なのか或は元来そういう名前だったのか不明ですが、柳という姓は、爺さんの姓を取ったというのが本当らしく思われます。其の後彼女は陳慧君の養女みたようになりまして、陳秋雲と呼ばれることの方が多くなりました。陳慧君は秋雲の前身については、誰に対しても語るのを避けていました。
陳慧君自身の生活がまた、多くの影に包まれていました。彼女は南京の生れだといわれていましたが、上海のことに大層通じておりました。亡夫は演劇方面に関係のある仕事をしていたという説もあり、または古着を取扱う商売をしていたという説もあります。其の後、彼女は相当の資産を所有して、骨董品類の店を経営していましたが、その店が実は方福山から委託されたものだとか、或は貰い受けたものだとか、いろいろの陰口が囁かれたこともありました。そして方福山との多年の関係は、殆んど公然の事実みたいになっていました。
彼女は背が高く、体躯が細そりとして、眼の動きが敏活であり、もう四十歳ほどなのに、若々しい肌色をしていました。そしてこの市井の一未亡人は、各方面につまらない用件を発見することにかけては、稀有の才能を具えていましたし、実につまらないその用件も、彼女の口に上せられると、なにか心にかかる趣きを呈するのでした。そのようにして彼女は、各方面に知人を作っていましたし、凡そ権力のあるところ、富力のあるところ、野心のあるところには、彼女の姿がしばしば見受けられました。ホテルの食堂などにも彼女はよく出かけましたし、ダンスも相当以上に巧みであることが、ボーイ達には知られていました。然し上流の社会にとっては、彼女はただ中流婦人に過ぎませんでしたし、少しく清潔でないそして少しくうるさい有閑婦人に過ぎませんでした。
そういう陳慧君のもとで、柳秋雲は少女時代を過し、学校に通い、それから化粧法や料理法も覚えましたし、特に歌曲をも教わりました。また、陳慧君のところにはいろいろな来客が多く、秋雲はいろいろな談話を聞きました。そして十七歳になった時、彼女は十ヶ月ばかり荘家で暮す
次へ
全5ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング