たところでは、旅行中御無沙汰を致したからというのでしたが、方福山の帰来後既に一ヶ月たってのことでありましたし、また、呂将軍も御出席の筈ですと何源はいい添えたのでした。
呂将軍というのは北京の警備司令でありましたが、その頃、彼について種々の風説が伝えられていました。近いうちに彼は済南方面へ転出するという噂もありましたし、また、省政府筋と常に反目しがちで、急激な武断政略を計画してるとの噂もありました。勿論こうした噂は、ある一部の人々の間にひそかに囁かれただけでありまして、事の真偽は定かでありませんけれども、それが原因でか、或は他に何かあったのか、一般市民の間に不安動揺の空気が次第に濃くなりつつありました。
そういうわけで、方福山の招宴は、人々に一種の印象を与えました。
招待を受けた荘太玄は、その子の一清にいいました。
「私は身体不和ということにして、お断りしようと思う。方さんからは時折、南方各地の銘茶の御厚志にあずかっているが、近頃、あの人の行動には私の心に添わないものがあるようだ。けれども、お前は行ったがよかろう。青年にとっては、いろいろなことを見聞するのが精神の養いになるものだ。
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