能を示しそうな柳秋雲をも加えて、それだけあれば、北京で大芝居がうてると思うのも、無理はないさ。」
「そんなことを呂将軍は考えてるんですか。」
「いや、考えてるものか。引きずられてはいるだろうが……。」
「では、誰が考えてるんです。方福山ですか。」
「方福山はまあ進行係というところだね。立案の方はどうやら陳慧君にあるらしい。とにかく、あの二人はいい組合せだ。」
「そして、あなたも、それに加担してるんですか。」
「僕が加担してたら、もっとうまくやるよ。柳秋雲に歌をうたわしたり、あれは可哀そうだった、あんなへまなことはしない。僕はただ傍観者にすぎないんだ。」
「傍観者……それでいいんですか。僕はあなたを軽蔑しますよ。」
「なあに、軽蔑は最後になすべきものだ。事の成行を楽しんで観てるという時機もあるさ。ただね、僕は君達に自重して貰いたいんだ。自重してくれ給え。お父さんが今晩来られないのはよかった。」
「父はそんなことを知ってるんでしょうか。」
「御存じではあるまい。然し、うっかり洩らしてはいけないよ。僕と君との間だけの秘密だ。」
「それは勿論です。だが……僕達、汪紹生と僕とを招かしたのは、柳秋雲だとばかり思っていました。」
「どうしてだい。」
「彼女も、僕達の仲間でしたから……。」
「だが、陳慧君のところに戻ってからは、彼女も相当変ったろう。それにまた、たとい彼女がいい出しても、それを取上げるかどうかは陳慧君の自由だからね。陳慧君は育て親として、彼女の上に絶対の権力を持っている。」
「それを、あなたは承認しますか。」
「事実の問題だ。第三者の否認なんか、当事者には何の役にも立たない。」
「ひどく冷淡ですね。」
「女の問題について冷淡なのは、僕の立前だ。女はどうも危険だからね。」
 そして高賓如は朗かに笑いました。
 その時、二人は庭を一廻りして、室の方へ戻ってゆくところでしたが、そこの、外廊の柱によりかかって、柱にそえた彫像のように佇んでいる汪紹生に出逢いました。
 汪紹生は潜思的な固い顔を少しも崩さず、荘一清にぶっつけるようにいいました。
「あれは済んだよ。」
「そうか。」と荘一清は答えました。
 高賓如を憚って、二人はそれっきり何ともいいませんでしたが、拳銃の一件だとはっきり通じたのでありました。
 汪紹生はまだすっかり自分を取戻していないようでした。――彼は何か堪えられない気持で、一人で室から逃げ出し、外廊の柱によりかかっていましたが、長い間たったと思える頃、柳秋雲が足音をぬすんで駆け寄ってきました。彼女は汪紹生の顔を見つめて、「お約束のものは……。」とぽつりといいました。汪紹生は内隠しから拳銃の包みを取出しました。柳秋雲はそれを受取って、懐にしまいました。そしていいました。
「私の……すべてを、信じて下さいますか。」「信じます。」と汪紹生は答えました。柳秋雲は片手を差出しました。汪紹生はその手を強く握りしめました。そして薄暗がりの中で、柳秋雲の眼が次第に大きくなり、妖しい光を湛えて、更に大きく更に深くなるように、汪紹生には思えました。彼はその眼の中に溺れかけました。とたんに、柳秋雲は手を離して、風のように立去ってゆきました。――その時の、まるで幻覚のような印象は、非常に強烈なもので、汪紹生は我を忘れ、そこの柱に身をもたせて、いつまでも凝然としていたのでありました。
 高賓如はちょっと汪紹生の様子を眺め、荘一清の方をも顧みましたが、何ともいわずに、先に立って室の中へはいってゆきました。
 麻雀の一組はゆっくり遊んでいました。他の片隅では、紫檀の器具と青磁の置物と朱塗りの聯板と毛皮の敷物とにかこまれて、呂将軍と方福山が酒をのみながら話をしていました。柳秋雲と方美貞との姿は見えませんでした。
 高賓如は真直に呂将軍の方へ行きまして、煙草を一本手に取っていいました。
「胃袋の強健な者ほど勇気が多い、という閣下の説によりますと、どうも、吾々若い者の方が勇気に乏しいようです。」
 呂将軍は笑いながら髭をなでました。どこからかいつのまにかそこへ出て来た何源が、高賓如の煙草の方へマッチの火を差出しました。

 なか一日おいて、午後、柳秋雲がふいに荘家へ訪れて来ました。――荘大人がお身体がわるい由だからお見舞に、というのでしたが、それはただ口実にすぎないことは明らかでありました。
 方福山からの招待には、身体は何ともなかったが、少し差支えがあって出られなかった、とはっきり荘太玄がいうのを、柳秋雲はそれについては返事もせず、よく解っているということを示しました。
 荘太玄と夫人とは、やさしい笑顔で彼女に接し、彼女も心安らかな態度でありました。荘一清はちょっと挨拶をしたきり、どこかへ出て行きました。
 方福山のところの宴会の話を、荘夫人が尋ねますと
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