の名刺[#「名刺」は底本では「名剌」]を持ってきた。○○署詰刑事中井宇平としてあった。晋作には何の用件だか更に見当がつかなかった。彼は暫く名刺の表を見つめていたが、兎も角もその刑事を通さした。
絣の銘仙の羽織着物に、セルの袴をつけた、三十五六の年配で、頭を五分刈にした、朴訥そうに見える男だった。晋作の頭には、その様子と刑事の肩書とが、別々なものとなって映じた。中井刑事は、一通りの挨拶を終ってから、突然の来訪を廻りくどい言葉で詫びた。語尾に妙な曇りがあった。晋作はその顔を見ながら、何の用件かと尋ねた。
「実はおかしなことで伺ったのですが…………。」
そして中井刑事は、丁寧な調子とぞんざいな調子とをつきまぜて云い出した。――晋作の家に怪しいことがあるという噂が拡まっている。固より前からも、変な噂があって居つく人がなかったのだが、晋作一家が暫く落付いてるので、近所では不思議に思ってると、果して怪しい噂がまた立ってきた。自分はそれをちらと耳にしたのだが、そういう事柄から往々古い犯罪の手掛りを得ることがあるので、どういう怪しいことがあるのか、それを尋ねに来たのである。――「御迷惑になるような
前へ
次へ
全25ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング