、立ちつくしたまま黙り込んだ。
晋作は障子をさっと開いた。向うの高窓が、死人の眼のようにぼーっと浮出していた。ぞっと薄ら寒い気がした。
「あら、どうしてこの室の電気だけつかないんでしょう?」
秋子の言葉に皆初めて気付いた。晋作は中にはいって電燈の捻子《ねじ》を捻ねった。ぱっと明るくなった。が皆は云い合したように、そのまま座敷へ戻った。
「馬鹿げた入道だね!」
晋作は強いて笑おうとした。その笑いが変に硬ばってくる所へ、清は別なことを主張しだした。
「でも初めは、たしかに電気がついておりましたが……。」
女中部屋の電気は、いつもつけっ放しにしておかれたのだった。その晩も停電の前までは、たしかについていた筈だった。
「そうれごらんなさい。おかしいわ!」と口には云わないが目付に見せて、綾子は皆の顔を見廻した。
「それも大入道のせいかな。」
「やあ、此処にも大入道が居るよ。」
と晋吉は立ち上って、背延びをしながら向うの壁に、自分の影を写していた。
笑っていいか恐がっていいか分らない、変な其場の気分だった。
そしてそれが、後まで続いた。
晋吉は夜になると、電燈の位置を変えたりいろんな姿勢をしたりして、壁に写る影法師をしきりに研究しだした。両手を拡げて飛び上ったのが、飛行機の姿だったし、首を振りながら片足で立ったのが、お化の姿だった。其他いろんな物が出て来た。
「お止しなさいよ。そんなことしてると、今に影に呑まれてしまうわ。」と綾子は云った。
影に呑まれるというのは、彼女の作り出した言葉だったが、それが実際、変な響きを皆の心に伝えた。
「なあに呑み込まれるものか、姉さんを呑み込んでやらあ。」
そして晋吉は、獅子舞いの面の恰好をして壁に写した。
その様子には清まで笑い出したが然し彼女は内心ひどく慴えきっていた。女中部屋の中には晩になると決して足を踏み入れなかった。
秋子は表面だけで皆に笑ってみせながら、内密で良人に断言した。
「あなた、何処かへ越しましょう。私もうこの家には一日も嫌ですわ。」
「そうだね。」と晋作は曖昧な返辞をした。
気のせいだと云えば云えないこともなさそうだったが、それにしても、女中部屋の押入はやはり不気味で変だった。その上、影法師に凝り出した晋吉の様子までが、心の持ちようで不気味にも思われた。
「だが、そんな筈はない。」――「然し、何だか変でもある。」
その間の去就に迷った心で晋作は、いい家があったら越してもよいと考えるようになった。気に入った家をわざわざ引越すにも当るまい、と昼間は思っても、夜になると、女中部屋のあたりが妙に陰々として感ぜられた。五十燭光の電球を買ってきて内密につけてみても、やはりそうだった。そして何だか押入のあたりが……。
「明日《あした》から家を探すよ。」と彼は秋子に答えた。
然しその明日が、一日々々と延びていった。でも一方で秋子は、出入の商人に空家探しを頼み初めた。
すると或る日、晋作の家へ突然刑事が訪ねて来た。
日曜日の午後一時頃だった。空家探しに出かけようと秋子に云われるのを、晋作はなお煮えきらない返辞ばかりして、その午前を愚図々々のうちに過してしまった。その間に一度、人知れずそっと女中部屋へはいってみたが、やはり何だか気持が変だった。昼食後彼は、二階の室にぼんやりして、うち晴れた大空を障子の硝子から眺めていた。これまでのことを考えるともなく考えてみると、馬鹿げているようでいて、そのくせ笑えもしなかった。自分でも思い迷った心地で、また大空をぼんやり透し眺めた。
そこへ、清が来訪者の名刺[#「名刺」は底本では「名剌」]を持ってきた。○○署詰刑事中井宇平としてあった。晋作には何の用件だか更に見当がつかなかった。彼は暫く名刺の表を見つめていたが、兎も角もその刑事を通さした。
絣の銘仙の羽織着物に、セルの袴をつけた、三十五六の年配で、頭を五分刈にした、朴訥そうに見える男だった。晋作の頭には、その様子と刑事の肩書とが、別々なものとなって映じた。中井刑事は、一通りの挨拶を終ってから、突然の来訪を廻りくどい言葉で詫びた。語尾に妙な曇りがあった。晋作はその顔を見ながら、何の用件かと尋ねた。
「実はおかしなことで伺ったのですが…………。」
そして中井刑事は、丁寧な調子とぞんざいな調子とをつきまぜて云い出した。――晋作の家に怪しいことがあるという噂が拡まっている。固より前からも、変な噂があって居つく人がなかったのだが、晋作一家が暫く落付いてるので、近所では不思議に思ってると、果して怪しい噂がまた立ってきた。自分はそれをちらと耳にしたのだが、そういう事柄から往々古い犯罪の手掛りを得ることがあるので、どういう怪しいことがあるのか、それを尋ねに来たのである。――「御迷惑になるような
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