ことは決してありませんから、単に参考のために、仔細を聞かして頂けますまいか。私一個人として伺うだけですから。」
晋作は微笑を浮べた。それから一寸躊躇した。
「何かお差支えがあれば、強いてとは申しませんけれど。」と刑事は云った。
その言葉が妙に晋作の気持に絡みついた。怪異に縁故があると思われて堪るものか、と考えたが、その憤慨の念が我ながら可笑しくなって、次には凡てをぶちまけてやれという気になった。
「怪しいといっても、何もはっきりしたことはありませんが……恐らく気のせいかも知れませんが、ただ……。」押入が不気味だということだけを、彼は細かく語った。
刑事は注意深く聞いていたが、晋作の言葉が途切れて暫くしてから、その押入を検べさしてはくれまいかと云い出した。原因を明かにした方が皆のためだと。
云われて見ればその通りだった。彼は苦笑しながら承知したが、また思い直して、秋子を其処へ呼んだ。
秋子は仔細を聞いてから、不思議そうに刑事の顔を見守っていたが、やがて俄に眉をひそめた。
「だけど、子供達や清が猶更恐がるようになりはしませんでしょうかしら。」
彼女の懸念は道理だった。
「では何れまた、」と刑事は云った、「皆さんのお留守の時に伺っても宜しいです。」
然しそうなると、晋作は却って気乗りがしてきて、一時も早く検べて貰いたくなった。
彼は秋子と相談して、皆を外に出すことにした。子供二人に清を伴さして、動物園へ遊びにやった。綾子はつまらなそうな顔をしたが、晋吉と清とは大喜びだった。そして三人は出かけていった。
晋作と秋子とは、中井刑事を女中部屋へ案内した。が不思議に、その時は別に不気味な感じもしなかった。押入の中の道具を取出しながら、馬鹿々々しい気持にさえなった。単に気のせいだったろうと、晋作はしきりに云い訳らしいことを云った。
然し、刑事の眼は急に輝き出して来た。注意を凝らしたらしい額をつき出して、犬のように鼻をうごめかした。彼は一応押入の中を見廻し、それから女中部屋の内外を見極め、台所の揚板の所から半身を差し込んで、押入の下あたりの地面を、棒切の先でかき廻したりした。しまいに彼はまた押入の前に戻って、小首を傾げながら考え込んだ。
その無言の動作に、こちらも黙ってついて廻ってた晋作と秋子とは、初めから白けた気持と、それでも淡い期待のあったのを裏切られてゆく失望とで、がっかりしてしまった。刑事が俄に押入の片隅を見つめ初めたのを、彼等は殆んど気にも止めなかった。そして云われるままに、釘抜と金槌とを取って来て渡した。
刑事は押入の隅の一枚の張板に、全身でしがみついていた。金槌と釘抜とでそれをはがした。そしてあり合せの板切を求めて、其処を器用に塞いでしまった。それから漸く立ち上って、廊下に出て着物の塵を払い、めくり取った一枚の板をしきりに眺めた。わきから覗くと、その板には端の方に、少し火に焦げた跡が残っていて、黴みたいな小さい白っぽい斑点が沢山ついていた。がただそれだけだった。
「どうもお手数をかけて済みませんでした。」と彼は云った。「では、この板だけお預りして行きます。」
「もう宜しいのですか。」と晋作は尋ねた。
「ええ、別に異状もないようですから。」
「そんな板が何かになるのですか。」
「さあ……。」と刑事は半信半疑らしかった。
それでも彼は、お茶を一杯飲むと、新聞紙に包んだ板を大事そうに抱えて、慌しく帰っていった。
「何かがお分りでしたら、私共へも一寸お知らせして頂けませんでしょうか。」と晋作は頼んで見た。
「はっきりした方が気持が安まっていいですから。」
「そうですね。」そして刑事は一寸考え込んだが、それから元気な声で答えた。「ええ、何れともお知らせしましょう。」
女中部室の押入は、中井刑事の臨検を受けて以来、その神秘的な魅力を失ったかのようだった。室の陰気さは前と少しも変りはなかったが、押入の張板が一枚、あり合せの板切れで、刑事の手によって置き換えられたことを思うと、今迄の何とも云えぬ不気味さが、朝の光りのように白々しくなって、何処かへ消え失せてしまった。
「やはり何でもなかったんじゃないか。」
「そうね、気のせいだったのかも知れませんわね。」
晋作と秋子とは押入の前に立って、そんな風に語り合った。
けれど……その下からまた、新らしい懸念が湧いて来た。
「一体刑事は、あの板を何と思ったのかしら?」
怪しい幻が消えた後に、科学と官憲とで※[#「捏」の「日」に代えて「臼」、24−下−4]ね上げられる、動かすことの出来ない現実的な幻が、恐ろしい顔付で伸びあがってきた。
「だがそんなことは、俺達の知ったことじゃない。」
そう自ら云いきかして、晋作は無理に平気を装った。そして女中部屋の中に坐り込んで、子供達と
前へ
次へ
全7ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング