清とを呼んだ。
「何でもなかったんだよ。押入の中の板が一枚壊れて、床下の風が吹き込んでいたので、変に気味が悪かったのさ。この通り繕ったから、もうこれから安心だ。」
 そして彼は押入の荷物を少しのけて、中井刑事が打付けた板をさし示した。が、清は腑に落ちぬような顔付をし、綾子は不審そうに眉根をしかめ、晋吉はふふんと空嘯いているので、そして、秋子は不安げな眼付で苦笑してるので、それが――何だか分らないが何かが、やはり変だった。その室に落付いて居られなかった。
 夜遅く便所へなんか行く時に、ひっそりした闇の中から、何かの眼付が覗いてるらしい気配に、ふと慴えることがあった。それはもはや、荒唐無稽な変化《へんげ》の類ではなかったが、あの押入に何かの因縁が……と思う、一種の宿命的な惑わしだった。
 新らしい家だけに、それがどうも不思議だった。
「この家は建ってまだ間もないらしいがね。」
「ええ、三年にきりならないんですって。」
 秋子はそう答えながら、良人の眼付のうちに、何か力となるべきものを探し求めた。そしてそれが見出せないと、しまいにはやはり移転を主張しだした。
「だってあの刑事との約束もあるしね……。」
 然し中井刑事からは、其後何等の音沙汰もなかった。こちらから聞きにゆくわけにもいかなかった。
 思い惑って、二人で長火鉢の前にぼんやりしてると、晋吉は綾子と清とを相手に、玄関の三畳で影人形の遊びに耽っていた。兎や狐は固より陳腐だったし、飛行機やお化も倦きられていた。そしてはしきりに、新らしい人形に苦心していた。
「そら蝦蟇《かえる》が出来た!」
 晋作がそっと覗いてみると、晋吉は壁と睥めっこをして、四つん匐いになっていた。その恰好が変梃だった。
 晋作はふと膝を叩いた。
「おい、僕が面白いものを拵えてやるから、じっとしてるんだよ。」
 彼は其処へ進み寄って、袖をまくった両手を重ねてぬっと差出した。然し、晋吉の蝦蟇を呑もうとしてる大蛇の姿は、思うように壁面へ現われなかった。
「お父さんは駄目だよ。」と晋吉は叫んだ。「お化の手附なら僕の方がうまいや。」
 晋吉は両手でいろんな恰好をして、様々の幽霊の手附をしてみせた。
「嫌ですよ、坊ちゃまは。そんなことをなさると、今に本物が出ますよ。」
 だが、慴えてるのは清ばかりではなかった。
 或夜中に、突然の鋭い叫び声のために、晋作と秋子と綾子までが眠りから覚まされた。見ると、晋吉が其処につっ立っていた。没表情な顔で石のように固くなっていた。漸くにまた寝かしたが、物に憑かれたような眼を長く見開いていた。――影が無くなった夢をみたのだそうだった。自分の影がなくなって、何処に写しても出て来ないので、一生懸命にその影を探し廻ってると、急に恐くて堪らなくなったのだそうだった。
「影ばかりでなく、今に晋ちゃんご自分も呑まれてしまうわ。」
 綾子が震えながらそんなことを云い出した。
 ぞっとするような静けさだった。眠れないでいるうちに、柱時計が四時を打った。それから時計の振子の音が耳について、晋作は朝まで眠れなかった。
「俺まで何だか変だぞ。」
 と気がついてみると、晋吉の夢が妙に気にかかった。女中部屋にいつも明るい電燈をつけ放しなのがいけないのじゃないかしら、とそんな馬鹿げた考えまで起った。然し明るい電燈をつけておいても、夜になると、清はその室を恐がって中にははいれなかった。秋子までが変に苛ら苛らしていた。
「とにかく、このままではいけない。どうにかしなくては……。」
 彼は考えあぐんだ。
 所へ、思いがけなく……実は心待ちにしていたのだが、中井刑事が訪れて来た。
 その日曜の朝をぼんやりしていた晋作は、驚喜の余り飛び上って、自身で玄関まで出迎えた。
 刑事の顔も、彼のに劣らず輝いていた。左の手先に軽くソフト帽を抱えて、足を心持ちふんばり加減につっ立ち、引緊めた浅黒い顔の皮膚の下には、晴々とした笑みが溢れていた。
 二人は親しい挨拶を交わした。
 然し、二階の座敷に通されると、俄に刑事は厳粛な態度に変った。半ば吸いさしの朝日を静に火鉢の灰にさして、一度に凡てのことを考えめぐらすような眼付をした。
「実は、あなたへお知らせすべきかどうか、少なからず迷ったのですが、怪しい噂を今迄平気でいられた所から考えて、申上げても別段騒がれることもないと思ったものですから、それにあの時のお頼みもありますし、定めしお待ちになってることと思ったものですから、旁々伺ったような次第です。然しこの話は秘密にして頂きたいものです。いずれ発表して差支えない時期が来ることと思いますが。まだ事件が予審中なものですから。」
 晋作は意外の感に打たれて、身ずまいを正しながら、他言しないと誓った。
 そして、刑事の話は更に意外だった。――あの板の、焦
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