彼の方へやって来たその姿に、彼は眼を見張りました。いつもより濃く化粧をし、髪のカールを一筋乱れぬまでに梳かしつけ、薄鼠色の地に水色の井桁を散らした薄物をきりっとまとい、一重帯の帯締の翡翠の彫物を正面から少しくずらし、畳表づきの草履を白足袋の先につきかけ、銀の太い握りの洋傘を絽刺の[#「絽刺の」は底本では「絽剌の」]ハンドバッグに持ち添えていました。それだけのことを彼が見て取ったほど、彼女は今時珍らしい粋ないでたちでした。それでも、彼女はやはり笑顔も見せませんでした。
「お待ちしておりました。」と彼女は言いました。
 それから、ちょっと歩こうと言って、彼女は彼を墓地の中へ誘いました。五重塔と高さをきそってる大きな銀杏の木のほとりを、ただ無言のうちにぐるりと一廻りして、そして元の所に出ました。
 彼女は尋ねるように彼の顔を見上げました。
「とにかく、どこかへ落着きましょう。」
 彼女は頷きました。
 何かの場合のため、人の込み合う乗物はいらない近くに、彼は場所を物色していました。
 焼け残りの一角の外線、こんもりと大木の茂ったひっそりした所に、高級旅館の名を掲げてる洋館がありました。大きな
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