てか、ほうってあるとみえて、青い草の芽が、あちこちに針のように出ています。
 正夫はその畑地を、微笑んで眺めながら、また、梅の実を一つ取りました。
「正夫さん……。」
 凉しい声で呼ばれました。駒井さんだということは分っています。駒井さんの声はいつも凉しく感ぜられるのです。
「まあ、方々探したのに……。毒ですよ、青梅は……。」
 振向いてみると、向うの窓から覗いてる駒井さんの顔が、光につつまれてるように眩しく思われました。
 けれど、近づいてゆくと、どうしたのでしょう、顔の色は蒼ざめ、眼はくぼみ、髪の毛だけが目立ってきれいにかきあげてあります。微笑んでみせたのが、泣顔のように見えました。

 駒井菊子さんの室は、八畳ですが、へんにちぐはぐな感じです。衣裳箪笥とその上にある貰い物らしい京人形と、箪笥の横の鏡台とだけが、女らしいもので、そのほかは、粗末な本箱や机や灰皿やインク壺や柱掛の暦《こよみ》など、男の下宿部屋みたいです。
 もっとも、芝田さんの家には、どの室にも、用を便ずるに足りるだけの道具きりありません。だいぶ前の話ですが、或る方面から家財道具の差押を受けた時、執達吏と芝田さんとの
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