、机によりかかって、泣いています。さきほどから堪《こら》え堪えてきた感情が、一時にほとばしって、涙となって出てきたような、泣き方です。
正夫がそっと寄りそって、その背中に手をかけると、駒井さんはいきなり縋りついてきて、また一層泣きだしました。悲しいのでしょうか、嬉しいのでしょうか、どうしたのでしょう。
だが、正夫もいつしか、涙ぐんでいます。
しいんとした夜です。
ちらちら、芝田さんのことが、頭のすみっこにひっかかってきます。正夫は先刻から、妙なことを思いだして、それを考え廻しています。父が鉛筆での走り書きで、「明朗な性格――芝田」という文句です。芝田というのは、芝田理一郎のことにちがいありません。そう交際はなかったようでしたが、遠縁に当るので、互によく識っていた筈です。芝田さんは今でも、たまに、父の噂をすることがあります。
あの文句は、恐らく、父が死ぬ少し前あたりに、書かれたものでしょう。父は愛読した書物のなかに、符牒のような文句を、いくつも書いています。もう四五年前のことで、はっきり覚えていませんが、父はあの頃、ギリシャ神話をしきりに読んでいました。その神話の或る書物の欄外
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