んでした。それが後天的なものであるならば、それをプラスとなすだけの心境があらねばなりませんでした。
 彼は火傷の時のことをちらと思い浮べました。狭い通路を走りぬけて、一面の火焔の海を突き切ろうとしかかったとたん、がーんと横面に燃える木材の一撃を受けて、そこにのめってしまいました。その後はもう無我夢中で、誰に助けられたか、どうして其処から脱出したか、はっきり分りませんでした。また、病院のベッドの上で闇黒な数日を過した後、左眼が失明せずにすんだことが分り、その眼で朝日の光りを眺めた時も、やはり夢のようでした。深い痛苦とか歓喜とかは、どこにも見当りませんでした。
 愛情さえも、彼はたいして感じたことがありませんでした。明子との戯れは、それもあの当時のことに遡れば、ただの戯れに過ぎませんでした。正子との親しみも、愛情などというものからは程遠い、ただの親しみに過ぎませんでした。それでは、今、彼女のことを想って心痛むのは何故でしょうか。彼女は何故に自殺などをはかったのでしょうか。しかし、明子のことを想っても心痛みましたし、明子は沈黙の相手にも手紙を書き続けました。いったい彼自身だけが、愚かで鈍感で痴呆なのでしょうか。
 それもよかろう、と彼は考えました。そして今や、明子にも返事が書ける気がしましたし、正子にも手紙が書ける気がしました。と共に、そんなことは凡て無意義だという気がしました。亮助から受けた二つの拳固の方が、もっと意味があったかも知れませんでした。
 直吉は瞑想からさめると、眉をあげて、高窓にさしてる月の光を仰ぎ見ました。そして自分の席に戻って、先ず辞職願を認めました。それから田舎の兄へ手紙を書き、自分の火傷の跡のことなどこまごまと描き、田舎に身を落着ける意向を述べました。田舎に帰農することは、彼にとっては、精神的なあらゆる浪費や玩弄を去って、土地そのものに還ることでありました。そして彼は、自分を愚昧だと考え、しかも安らかな微笑を浮べました。



底本:「豊島与志雄著作集 第四巻(小説4[#「4」はローマ数字、1−13−24])」未来社
   1965(昭和40)年6月25日第1刷発行
初出:「不明」
   1947(昭和22)年12月
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2008年1月16日作成
青空文庫作成ファイル:
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