だっていうじゃないか。そして正子さんも、君のその……火傷に、たいへん親切そうじゃないか。」
笠井はただ苦笑しました。そして焼酎を飲みました。もう何も口を利きたくない気持でした。先刻正子が立ち現われた時、彼女に注いだ自分の赤目の凝視が、意識にはっきり戻ってきていました。それは恐らく、何物をも見竦めてしまうような異様な視線だったことでしょう。なぜあの時、我を忘れてそのような見方をしたのでしょうか。いつものようにやさしく見てやらなかったのでしょうか。彼は自ら腹立たしい思いに沈んで、焼酎を飲みました。そしてすっかり酔いました。
その夜、どういう風に寝床についたか彼は覚えませんでした。そして、夜中にざーっと雨が降ったらしいこと、それから、なにかざわざわと物音が表にしたこと、そんなことをかすかに覚えていました。
翌朝、噂はすぐ近所に拡がりました。夜中に、田中正子が毒薬をのんで自殺をはかったが、それを発見されて、生命は助かったというのです。原因は何にもわからず、ただその前夜、兄の亮助と大喧嘩をしたというだけで、喧嘩の内容は少しも分りませんでした。
笠井直吉は休暇にあたる日で、遅く起き上りま
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