ょっと口が利けませんでした。
 四五秒たちました。正子はゆらりと上体を動かしました。
「御免下さい。兄さんが来てるかと思いまして……。」
 その兄さんのことも、どうでもよいような調子でしたが、坪谷はあわてて口を利きだしました。
「あ、兄さんですか。おいでになりませんが……まあお上りなさい。さあ、どうぞ。今ね、配給の焼酎をやってるところですが……。」
 彼は殆んど相手なしに饒舌っていました。もう正子は、消えるように、表の方へ音もなく出て行きました。保子が長火鉢のところから立ち上って、縁側から外をすかし見た時には、正子の気配さえありませんでした。
 坪谷は保子と房を見合わせました。
 暫くして、保子は言いました。
「あすこの家、みんな変っていますね。変り方はそれぞれ違ってるけれど……。」
 そしてちょっと田中一家の批判が出かかりましたが、夫婦とも、なにか気兼ねでもするかのように、すぐにやめました。それから保子は直吉に言いました。
「でも、正子さんはいい人ですよ。そして、どうやら、笠井さんを好きらしいわね。」
 それに元気づいたかのように、坪谷はいいました。
「君は正子さんの跛にたいへん親切
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