いた者もそれでよろしいことになるでしょう。とは言え、彼女の心の持ち方は、なにか謎めいたものを直吉に投げかけました。それが、彼女との間の距てを一層なくしました。彼は彼女の視線をますます恐れなくなり、彼女に対しても自分の視線を憚らなくなりました。
軽い跛ではあっても、重い物を持てば人並以上に体に無理がいく、そのことを、彼は正子にはっきり見て取りました。それで、炭や缶詰や麦などの重い配給物がある時は、いつも正子の分をも運んでやりました。正子は彼に靴下や手拭やハンケチを手渡しすることがありました。それから、彼の畑の野菜物を自由に採ってゆくようになりました。蚕豆が食べ頃になってるから四五本抜いていらっしゃいと、彼が誘ったのが始まりで、彼が畑に出てる時は彼女もよく遊びに来、彼がいない時でも、トマト、胡瓜、茄子、菜っ葉の類など、自由勝手に採ってゆくようになりました。
ただそれだけのことで変りない日々が過ぎ去りました。
そして、或る曇り空の蒸し暑い日、久しぶりに焼酎の配給がありまして、その上直吉の野菜物への御礼にと隣家から焼酎の贈り物もありまして、直吉は、借家主の坪谷仁作と共に、縁端で杯を交わし
前へ
次へ
全23ページ中11ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング