注意深い視線にはすぐに分りました。そういう視線を彼女は日常自分の身に感じているので、それで、他人にも、笠井直吉にも、同様な視線を向けない術を心得ていたのでしょうか。それとも、そんな視線を不用とするような特別な心境に在ったのでしょうか。
 それはとにかく、彼女は自分の跛について、一種の自信めいた解釈を持っていました。それを笠井直吉に語るのが嬉しそうでもありました。
 大きな籠を持って、野菜物をもらいに、直吉の畑へやって来た、或る時のことです。小さく区切った畑地の境界線伝いに、道路からはいって来て、瓦礫の堆積にちょっと踏みかけた時、正子はよろけて、籠を投げ出すと共に、自分の体も地上に投げ出しました。直吉が駆け寄ってゆくと、彼女はもう起き上って、大きく見える眼と口で笑いました。そして独語のように言いました。
「足が不自由なのは不便だわ。」
 それから彼女は直吉の顔をじっと見て、同感を求めるように言いました。
「でも生れた時はこんなじゃなかったんですものねえ。」
 それが直吉にはよく分りませんでした。
「生れた時が……どうしたんです。」
「生れた時は、ちゃんとした身体だったんですよ。」
 小さい時、学校にあがる前頃、関節炎かなにかそんな病気をして、それから足が悪くなったのだそうでした。
「誰だって、生れつき片輪じゃありませんわ。」
「しかし、生れつきそんなのもあるでしょう。」
「それは別ですわ。」
 彼女の言うところは、つまり、生れながらの不具者は別として、満足に生れて後に五体に損傷を受けた者は……ということなのですが、それから先を、彼女はこう言いました。
「りっぱに生れついたんだから、それでいいんです。」
 その中に彼女は、彼女自身と直吉を一緒にして言っていました。それがあまりはっきり感ぜられましたので、直吉は、思いが自分の火傷のことに戻ってきて、もうその話を打ち切りたくなりました。そして、天気のことや野菜のことに話を転じ、時なし大根や漬け菜を彼女に抜き取ってやりました。
 野菜の籠をかかえて跛をひきながら行く彼女の後ろ姿を、直吉はじっと見送りました。
 五体が満足に生れつけばそれでよろしい。もしいけないとすれば、さし当り傷痍兵士などはどういうことになるのでしょう。然し、直接自分の火傷のことになると、その考えに直吉は安んじられませんでした。詮じつめれば、五体不満足に生れついた者もそれでよろしいことになるでしょう。とは言え、彼女の心の持ち方は、なにか謎めいたものを直吉に投げかけました。それが、彼女との間の距てを一層なくしました。彼は彼女の視線をますます恐れなくなり、彼女に対しても自分の視線を憚らなくなりました。
 軽い跛ではあっても、重い物を持てば人並以上に体に無理がいく、そのことを、彼は正子にはっきり見て取りました。それで、炭や缶詰や麦などの重い配給物がある時は、いつも正子の分をも運んでやりました。正子は彼に靴下や手拭やハンケチを手渡しすることがありました。それから、彼の畑の野菜物を自由に採ってゆくようになりました。蚕豆が食べ頃になってるから四五本抜いていらっしゃいと、彼が誘ったのが始まりで、彼が畑に出てる時は彼女もよく遊びに来、彼がいない時でも、トマト、胡瓜、茄子、菜っ葉の類など、自由勝手に採ってゆくようになりました。
 ただそれだけのことで変りない日々が過ぎ去りました。
 そして、或る曇り空の蒸し暑い日、久しぶりに焼酎の配給がありまして、その上直吉の野菜物への御礼にと隣家から焼酎の贈り物もありまして、直吉は、借家主の坪谷仁作と共に、縁端で杯を交わしました。坪谷の妻の保子が気を利かして、ちょっとした酒の肴も拵えておいてくれました。
 酔ってくると、直吉の顔は赤くなると共に、その火傷した半面が光沢を浮き出させ、あかんべえの眼が細工物のように見えました。その顔を彼は伏せがちに、電灯の光りを避けるようにして、ともすればなにか考えこむのでした。
 坪谷はいたわるように言いました。
「もう諦めるんだね。東京と福井とじゃあ、どうにもならんよ。」
 木村明子のことを彼は言ってるのでした。直吉は顔を挙げて、淋しい微笑を浮べました。
「それはもう、諦めてるよ。とうとう、手紙の返事も書かなかった。」
「いっそ、何にも書かない方が、さっぱりしていいだろう。」
「然し、なんとか、最後に一度は書くつもりだ。」
「それも、やめた方がよかろうよ。なんだな、手紙ってものは、一種の気合だからね。気合ぬけがしちゃあ、もうだめだよ。」
 それから坪谷の持論として、手紙のやりとりは気合でゆくべきものだとの話になりました。この場合、気合には最も時間が大切なものとなるので、書きそびれた手紙はいっそ書かない方がよいというのです。ついては、この頃のように手紙の送達が後れるようで
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