遊びごととも言えたでしょう。それは、少年の仲に見らるるもののようでもありましたし、または老人の仲に見らるるもののようでもありました。
直吉の思い出のなかに、執拗に繰り返し浮んでくるのは、次のようなことでした。
彼が彼女の肩に頭をもたせかけていますと、香油をぬりこんだ彼の長髪を、彼女は静かに撫でてくれ、いつまでも撫でてくれました。それからこんどは、彼女が彼の肩に頭をもたせかけますと、女には少しく荒らすぎるその髪を、彼はごく静かに撫でてやりました。
彼女は彼の耳朶を指先でもてあそぶのが好きでした。彼は擽ったいのを我慢しました。が彼女の方は、彼が彼女の耳朶にさわるのを、容易くは許しませんでした。
二人寄り添ったまま、彼女は遠く宙に眼をやりました。その彼女の顔を、彼は倦きずに眺めました。あまり眺めていますと、彼女は突然にっこり笑って、掌で彼の眼を覆いました。
互に抱き合うと、彼女は彼の頸筋に顔を埋め、彼は彼女の髪に顔を埋めました。彼女はしばしば、彼の指を一本ずつきつく握りしめました。力一杯に握りしめるようでした。
そのほかいろいろなことをしましたが、それらの愛の表現は、たいてい肉体に即したものでした。彼女は何度も彼に、あなたの眼は美しいと言い、あなたの髪の毛は柔いと言い、あなたの耳の恰好はりっぱだと言いました。その甘やかすような語調が、彼の心に深く刻まれました。
然し、今、彼の左半面のその眼や耳や髪は、無惨な姿になっていました。そのぎょろりとした赤目で、じっと見られましたなら、彼女はどうすることでしょう。
彼は彼女に手紙が書きにくく、打ち案じながら月日を過しました。罹災のことを書くとすれば、どうしても、火傷のことを書かなければなりませんでした。彼にとって真の罹災は、僅かな衣類や道具や書籍のことではなく、直接に肉体上のことでした。而もそれを除外した手紙は、今のところ全く無意味に感ぜられました。
彼は彼女のこと、遠い木村明子のことを、しきりになつかしく慕わしく想い偲び、胸を切なく痛めながら、もう二人の間は何か大きな運命とも言えるものに距てられた気がしました。その大きな運命とも言えるものの象徴が、彼のぎょろりとした大きな赤目でした。そのために彼はますます孤独になりました。
ただ一人で、時には淋しい憂苦に浸って、時には白けきった放心状態にあって、彼は耕作地の野菜を育てました。そういう時彼は、顔の左半面を太陽の光に曝しました。その無惨な火傷の跡を、白日のなかに恥じるどころか、寧ろ陽光に焼き焦がそうとしてるかのようでした。
そういう彼の火傷の跡を、何の憚りもなく好奇心もなく、謂わば無関心にぶしつけに、じっと見つめてくる眼が一つありました。田中正子の眼でした。
田中正子は、笠井直吉と同じ隣組の中にいました。父は公証人役場に書記をしていて、家事や世事にはひどく冷淡な偏屈人だとのことでした。母はいつも病身でぶらぶらしているとのことでした。終戦の年の末、兄が復員によって朝鮮から帰って来て、或る小さな印刷所の庶務に勤めているとのことでした。それらはみな真実だったでしょう。だが、笠井直吉にはそれはどうでもよいことでしたし、彼等の姿を見かけることもめったにありませんでした。ただ正子にだけ、彼は自然と親しくなってゆきました。配給物のことをはじめ隣組内のいろいろな用事の際、用達しや入浴の途上での出逢いなど、彼女に接することが多かったのです。
正子はもう三十歳ほどになっていました。へんに肌が白い感じの女で、眼と口とが、実際は普通なのに、少しく大きすぎると思われるのでした。なにか特殊な表情によるのだったでしょうか。然し彼女の表情は豊かではありませんでした。じっと無表情に自分を抑制してるかと思われるふしさえありました。
初めのうち、彼の方に、彼の顔に、殊に彼の火傷の跡に、ぶしつけに注がれる彼女の視線を、彼は不愉快に思ったものでした。然し馴れるにつれて、その視線に気を留めなくなりました。彼女の視線はただ、どこかへ向けておかなければならないからそこへ向けておく、とそういう性質のもののようで、何かを穿鑿して吸収しようとしてるのとは違っていました。後になると、彼は、自分の大きな赤目やちぢれた耳や耳の後ろの禿げなどを、彼女からじっと見られても、ただ日にあたり風に吹かれるぐらいにしか感じなくなりました。彼女の方でも、日がさし風が吹くような調子で、少しの遠慮もなく彼の火傷の跡に眼をやるのでした。
彼女自身、五体が満足ではなく、少しく跛でした。右の膝関節の屈曲がなめらかでなく、そして右足がちょっと長すぎるか短かすぎるかして、歩調と腰つきに均整がとれませんでした。羽織でもふわりとまとっておれば、それはうっかり見過されるぐらいの程度のものでしたが、それでも、
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