は、世間からの非難はもっともなことで、それは全く書信の気合をそぐことになるのです。それとも、世人の気合がずっと間延びしたものとなれば、話は別になるのでしょう。――そのようなことを、逓信従業員たる彼が、無関係な方面の事柄をでも批評するようにして、談じてゆきました。
 もう暮れかけていましたが、空間のうちにまだ明るみがほんのりと漂っているらしい、ちょっとためらいがちな時刻でした。その時、表から台所口とは反対にそこの縁側の方へ通ずる、路地とも庭ともつかない空地に、かすかに人の気配がして、八手《やつで》と檜葉との小さな植込のそばに、ぼっと人影が現われました。たしかに蒼ざめてると思えるへんに白い顔に、眼が大きく見据えられ、首をすっと伸し、右肩を少しく落しかげんにして、襟をきっと合わせた黒っぽい着物の胸から下は、夕闇にとけこんでいて……なにか亡霊にも似た、それが、田中正子でした。
 直吉は顔をあげ、坪谷は口を噤み、二人ともその方を見やりました。正子もじっと二人の方を見やりました。彼女がそこへふいにやって来ることは、近所同士のこととて不思議ではありませんでしたが、その時はなにか妙な工合で、二人ともちょっと口が利けませんでした。
 四五秒たちました。正子はゆらりと上体を動かしました。
「御免下さい。兄さんが来てるかと思いまして……。」
 その兄さんのことも、どうでもよいような調子でしたが、坪谷はあわてて口を利きだしました。
「あ、兄さんですか。おいでになりませんが……まあお上りなさい。さあ、どうぞ。今ね、配給の焼酎をやってるところですが……。」
 彼は殆んど相手なしに饒舌っていました。もう正子は、消えるように、表の方へ音もなく出て行きました。保子が長火鉢のところから立ち上って、縁側から外をすかし見た時には、正子の気配さえありませんでした。
 坪谷は保子と房を見合わせました。
 暫くして、保子は言いました。
「あすこの家、みんな変っていますね。変り方はそれぞれ違ってるけれど……。」
 そしてちょっと田中一家の批判が出かかりましたが、夫婦とも、なにか気兼ねでもするかのように、すぐにやめました。それから保子は直吉に言いました。
「でも、正子さんはいい人ですよ。そして、どうやら、笠井さんを好きらしいわね。」
 それに元気づいたかのように、坪谷はいいました。
「君は正子さんの跛にたいへん親切だっていうじゃないか。そして正子さんも、君のその……火傷に、たいへん親切そうじゃないか。」
 笠井はただ苦笑しました。そして焼酎を飲みました。もう何も口を利きたくない気持でした。先刻正子が立ち現われた時、彼女に注いだ自分の赤目の凝視が、意識にはっきり戻ってきていました。それは恐らく、何物をも見竦めてしまうような異様な視線だったことでしょう。なぜあの時、我を忘れてそのような見方をしたのでしょうか。いつものようにやさしく見てやらなかったのでしょうか。彼は自ら腹立たしい思いに沈んで、焼酎を飲みました。そしてすっかり酔いました。
 その夜、どういう風に寝床についたか彼は覚えませんでした。そして、夜中にざーっと雨が降ったらしいこと、それから、なにかざわざわと物音が表にしたこと、そんなことをかすかに覚えていました。

 翌朝、噂はすぐ近所に拡がりました。夜中に、田中正子が毒薬をのんで自殺をはかったが、それを発見されて、生命は助かったというのです。原因は何にもわからず、ただその前夜、兄の亮助と大喧嘩をしたというだけで、喧嘩の内容は少しも分りませんでした。
 笠井直吉は休暇にあたる日で、遅く起き上りました。噂を聞いて、宿酔ぎみの重い頭をかかえましたが、何の判断もつきませんでした。見舞に行くことも、田中家で親しいのは当の正子きりでしたから、遠慮されました。坪谷仁作はもう郵便局に出動していましたし、保子は噂を直吉に伝えたきりで、何の意見もいいませんでした。恐らく何の意見も持たなかったのでしょう。
 飲み残しの焼酎を少し飲んで、直吉は自分の耕作地へ出かけました。そこが、最も心安まる場所でありました。
 雨あとの地面はしっとりと濡い、空は青く冴え、強い太陽の光が一面に降り注いでいました。へんに蝉の声も少なく、蝶の姿も少なく、ただ静まり返った日でした。
 直吉は帽子を投げ捨て、強い陽光の中につっ立って、耕作地を見渡しました。瓦礫や鉄材や雑草の茂みなどに点綴されながら、そしてあちこちの新築バラックに遮られながら、広々とした焼け跡一面に、農作物が勢よく伸びあがっていました。直吉自身の畑地にも、茄子の葉が光り、トマトの実が色づき、胡瓜の蔓が絡みあい、菜っ葉が盛り上り、薩摩芋の根本の土がひびわれていました。
 彼は頭を振って雑念を払い落そうとしました。そして、田舎の兄から来た手紙のことに考えを向けま
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