した。今年の豊作らしいこと、いろいろな文化施設が計画されてること、然し田舎の生活はこれからが奮闘を要するらしいこと、そしてつまりすべてに張り合いが出来てきたことなど、こまごまと書かれていました。そのことを考えながら、彼は長い間瞑想に沈んでいましたが、やがて、耕作物の一本一本を丹念に見調べはじめました。
 そのうちにふと、彼は気がつきました。道路のところに突っ立って、こちらをじっと見ている男があり、それが、田中亮助でした。直吉は何か胸にこたえるものがあって、立ち上って待ちました。
 果して、田中亮助は、直吉の方へ真直ぐにやって来ました。
「ちょっと話があるんですが……。」
 躊躇するところなくそう言って、亮助は雑草のところに腰を下しました。
 頭髪を短く刈り襟の服を着てる彼の、そのひどく冷静な態度のなかに、決意めいたものが潜んでいるのを直吉は感じました。
 亮助は言いました。
「妹のことですが、噂は聞かれたでしょうね。」
 曖妹な返事は許されないような調子でした。
「昨夜のことは聞きました。」と直吉は答えました。
「あんなことを妹が仕出来した以上、兄の僕から、君に一言断っておきたいことがあります。」
「どういうことでしょうか。」
「第一、妹を泥坊にするようなことは、今後は止めて貰いたいのです。」
 それは、直吉が全く予期しない言葉でした。呆然としていると、亮助は説明しました。直吉がその畑の作物を自由勝手に採るように正子を誘ったので、正子もその通り振舞っていたが、それが他人の目には、作物盗人と映るし、そういう無責任な指導は怪しからんというのです。
「君のおかげで、妹は泥坊呼ばわりされました。」と亮助は言いました。
 直吉はただ呆れるばかりでした。
 亮助は更に言いました。
「君は妹と結婚するつもりだそうですが、単なる同情から出たつまらない感傷は、今後は止めて貰いましょう。」
 それも、直吉の予期しない言葉でした。
「君の愛情がどんなものであるか、また、妹の愛情がどんなものであるか、それは僕の知ったことでありません。然し、お互の同情から出たものであるとすれば、そんな結婚は滑稽です。僕は率直に言いますが、跛の女と火傷の男とは好一対かも知れませんが、単にそれだけの理由の結婚なら、全く滑稽というより外はありません。そういう好一対は世間の物笑いの種になるだけです。」
 不思議なほど、亮助の言葉は整然としていました。まるで文章でも暗誦してるような調子でした。冷静に考えてか、或は激昂の熱に浮かされてか、とにかく幾度も心のうちで練り直されたもので、そしてそのために却って、生きた脈搏[#「脈搏」は底本では「脈博」]を失ってるもののようでした。直吉はただ呆然として、別に大した衝撃も受けず、弁解する気にさえなりませんでした。
 彼は静かに言いました。
「外にまだ何かおありでしょうか。」
「それだけです。」と言って亮助は直吉を見つめました。
「そんなら、すべてあなたの誤解ですし、ばかばかしい話です。いずれお分りになるだろうと思いますが……。」
 言いかけて直吉は立ち上りました。
 亮助もつっ立ちました。
「ばかばかしい話とはなんです。妹はそのために毒をのんだのに、君は……。」
 言葉をつまらせて震えてる彼を、直吉はじっと見やりました。反撥とか敵意とかそういう気持ちではなく、なにか下らない忌々しいものにぶっつかった気持ちで、それが、あかんべえの眼玉を更に大きくむき出させるようなのを意識しながら、へんにじっと見やりました。そしてその視線をむりにもぎ離そうとした瞬間、相手の亮助は躍りあがったようで、その右手の拳が、直吉の頬へ飛んできました。音とも光ともつかないものを直吉は火傷の跡に感じ、次にも一つ、更に強烈なのを受けて、よろめいて膝をつきました。そしてちょっと眼をつぶりました。
 亮助は直吉の様子を見守り、それからくるりと背を向けて、立ち去りました。

 その夜更け、笠井直吉は薄暗い郵便局の片隅で、額をかかえて瞑想に沈みました。深い淵の中での瞑想にも似ていました。
 彼は宿直の日で、そして後徹《こうてつ》に当っていました。他の二人の仲間が彼方でのろのろと仕事をしていました。彼はいい加減に仕事を片づけ、窓際に退いて、瞑想の淵に沈みました。半欠けの月の淡い光りが、高い窓硝子にぼーっとさしていました。
 すべてがばかばかしくて、田中亮助に弁解する気にさえなれなかった、あの気持ちが、更に大きく深く彼を取り巻きました。そしてその中に、自分の火傷の跡、ひきつった皮膚や、ちぢれた耳や、赤光りの禿げや、殊にあかんべえの大きな眼が、まざまざと浮き上ってきました。それは正子が言ったように、生れながらのものではありませんでした。然し、彼女のようにそのことだけに安んずることは出来ませ
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