う郤けるべきものではない。日の光の中に咲き匂ってる花は、あのままでよいではないか。人生からあらゆる楽しみを取去って、苦しみだけを残す必要はない。偸安がいけないことであると同様に、偸苦もいけないことである。自由な安楽は、人に若さと活気とを与える。この意味で、上流の婦人等の生活も全然排し去るべきものではない。
 ただ不正なのは、下流の生活と上流の生活と、両者が同時に存在してるからである。一方が苦しみ一方が楽しんでるからである。もし両者全部が苦しみもしくは楽しんでる場合には、不正は成立しない。両者の比較からのみ問題は生じてくる。
 そういう問題を今私は取扱ってるのではない。個々のものそれ自身について云ってるのである。
 さて、中流の婦人等の生活は如何なるものであるか。其処には、下流の生活に見るような鈍重な活力もなければ、上流の生活に見るような溌剌たる明るさもない。凡て萎微し沈滞しきって陰鬱である。
 朝起きると、室の掃除やこまこました片付物などをし、女中が拵えてくれた食物を食べ、良人や子供達の服装の世話をし、良人を――或は子供をも――外に送り出し、それから髪を結い、再び顔を洗って化粧をし、着
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