に呼ばれて席を立ち、渡し舟を操ってきました。
「やれやれ、こんな時には難儀なことだ。」
 重兵衛爺さんはにこにこして、その難儀を楽しんでる風でした。だが、日が暮れると、もう渡舟の客は無くなりました。
 そうした間中、岩田元彦はやはり黙りこんで酒を飲んでいました。無言の誓いを堅く立てているようでした。然し彼が一度口を開けば、それは殆んど決定的な命令権を持つかのように、他からの異議を許さないことが、一座の皆に感ぜられていました。国防色の詰襟の服装、だいぶ伸びてきた荒い頭髪にかこまれてる、堅固な額とじっと見据えがちな眼付など、なにか威厳がこもってるかのようでした。
 女たちもやがて御飯を食べてしまい、日本酒も飲みつくされてしまうと、岩田元彦は突然言いだしました。
「さあこれから、加代ちゃんを町まで送ってゆこう。中村君ついて来てくれよ。そうしなけりゃ、加代ちゃんがまた僕をこちらへ送って来なければならんだろう。酔っちゃった。さあ行こう。」
 渡舟は自分の役目だと、重兵衛爺さんも立ち上りました。二人の村の者も、辞去するために座を立ちました。提灯がともされました。
 心配そうに門口までついて来た八重子を、提灯の淡い明りで、元彦はじっと見つめて、頬の肉をへんに歪めながら言いました。
「もうくよくよするなよ。これからはいつも俺が、側についていてやる。」
 八重子はふっと涙ぐんで、その涙を隠すかのように家の中にはいりました。
 曇った夜で、妙になま暖く、霧がかけていました。
 元彦は酔って足許がふらついていました。提灯を持ってる中村佳吉の、和服にマントをひっかけた肩へ、よりかかるように手をかけました。
「おい、中村、闇商売の仲つぎなんか止せよ。」
「うん、やめることにしてるよ。」と中村は素直に笑顔で答えました。
「よろしい。だが、そんなことを続けたら、いつまでたっても八重子はお前にやらんぞ。妹だが、子供のような、そして大人のような、えたいの知れないあのちっちゃな魂に、俺は惚れこんじゃった。妹でなかったら、俺は八重子と結婚する。そしたら、お前は加代子と結婚しろ。なあ、加代子、加代ちゃん、君は中村を嫌いじゃなかろう。好きだって言え、好きだって……。」
 加代子は中村の方を顧みて囁きました。
「ずいぶん酔ってるのね。」
 それを、元彦は引き取りました。
「なに、酔ってるって、ばかを言うな。真面目なことを考えてるんだ。この河に、昔から今まで、幾人の人間が溺れ死んだか、そしてこれから、幾人の人間が溺れ死ぬだろうかと、真面目に考えてるんだ。なあ重兵衛さん、たくさん溺れたろうね。」
「さあ、どんなもんだか。」
 重兵衛爺さんは気のない返事で、もう渡し舟の綱を解き初めていました。
 満々たる水が、夜目にも仄白く、ゆったりと流れていました。一同が乗りこむと舟はすぐに出ました。
 元彦は外套をぬぎました。そして、赤いコートの下に臙脂の矢羽根の着物の襟をかき合せている加代子の、ほっそりした肩に、それを着せかけてやりました。
「俺の最後の親切だと思えよ。」
 だが、その最後というのが、どうやら別な物を指してるようでした。彼は嬉しそうに微笑しながら、服の脇ポケットから、四合瓶を一つ取り出しました。八分目ほど焼酎がはいっていました。他方のポケットからは、大きな盃が二つ出てきました。
「重兵衛さんも少し休んで、さあやりなさい。」
 河の流れは極めてゆるやかでした。重兵衛爺さんも元彦にひき入れられて、焼酎の盃を手にしました。元彦は二三杯飲み干すと櫓を取って、川上へと舟を向けました。少し漕ぎ上っておけば、あとは流れのままです。重兵衛爺さんは馬の溺れたことを話していました。
「……泳げるくせに、慌てたもんだから、水ん中に頭を突っこんでさ、もうそれっきりよ。手綱でもって、頭を水の上に引きあげてくれる者が、いないとなりゃあ、自分で頭をあげるだけのことだ。それを忘れたもんだから、あのでかい頭が、下へばかり沈んでゆく。馬のうちにも、泳ぎを知ってるのと、知らないのと、二通りあるらしいよ。」
 加代子は眉をひそめてそれを聞いていました。中村佳吉は興がって話の相手になっていました。元彦はもう周囲のことに何の関心もなく、じっと河の面を眺めやっていました。
 ――丁度、このような彎曲部であった。ぼんやりした闇夜だった。中程まで進出すると、対岸にぱっと閃光が起った。閃光は数を増して、弾丸が上空を飛んだ。その時、迂濶にも、こちらから二三発応射した卑怯者があった。対岸には一時に閃光が連った。ヒュンヒュンと頭上を掠め飛ぶ弾丸は、まもなく、シュッシュッと身近かに迫り、水煙りを立てるようになった。やがて、大きい奴が上空からも落ちてきた。シュルシュルッという不気味な音は、場所の見当がつかなかった。その一つが、頭上
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