を執行しとるんだろう。規則通りに注意してやっとるんだろう。それを、酔っ払って何だと思ってるんだ!」と云いながら彼はまた野口昌作の方へ向き直った。「愚図愚図しないで、降りちまえ。この通り人の邪魔だ。降りた上で俺が相手になってやる。」
野口昌作は咄嗟に口が利けないで、眼をしぱしぱやった。そして口を聞くまもなく、麦藁帽の男の強い力に圧せられて、突き落されるように街路へ降り立った。その前に男は、両腕を胸に組んでつっ立った。
「先刻から黙って聞いておれば、何だ貴様は、車掌がおとなしく下手に出とるのに、いやに図に乗って、立派な職務妨害だぞ。喧嘩の相手がほしければ、俺が相手になってやる。さあ云い分があるなら、云ってみろ。」
もう周囲にはぐるりと人が立並んでいた。「やれやれ!」という声も聞えた。電車の前方から、も一人の車掌と運転手とが降りてきた。木原藤次は少し離れて、手短かに事の顛末を述べていた。人々の気持が緊張して尖っているのが、その顔付にありあり見えていた。野口昌作は意外の敵に面喰って、あたりをじろりと見廻したが、その時何かしら彼の心に、どっしりこたえたものがあった。自分の方に好意を寄せていな
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