一杯込んでる電車も、何もかも気が利かなかった。そしてまたそれらのものが、彼自身を猶更気の利かないものに思わせるのだった。彼は忌々しい気持を眼付に籠めて、街路の有様を見送っていった。そこへ、車掌から言葉をかけられ、小僧が背負ってる行李の角で背中を突つかれ、車掌から肩を押され、ぐっと癪に障って、持ち前の酒癖も手伝って、腹立ちまぎれの気分がねっとりと車掌の方へ絡んでゆき、更に乗客等の視線から煽られて、引くに引かれぬ破目に陥いっていった。それを自らごまかす気もあって、かさに掛って怒鳴り立ててるうちに、監督という一寸面倒くさい言葉から、度を失いかけたのを取返すために、煙草の失態を仕出来してしまった。それはどうにか切りぬけたが、車掌からいやに真剣な眼付で見つめられ、差出した煙草の処置に困って、降り道に迷ってる五六人の乗客等の方を、じろりと見廻してみた。
その時、ずらりと立並んで重り合ってる人々の中から、麦藁帽に浴衣がけの、背の高い肩幅の広い男が、ぬっと出て来て、いきなり彼野口昌作の肩を引掴んだ。
「ふざけるな、降りちまえ!」と男は底力のある大声で怒鳴って、首を車掌の方へ振向けた。「君は正直に職務
前へ
次へ
全32ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング