、中があいてるから、中へはいって下さらなければ困ります。其処に立っていられちゃあ、乗り降りの邪魔になるじゃありませんか。」
「どこが邪魔になるんだ?」と云って洋服の男は一方に身を寄せた。「こうしていりゃあ、いくらでも通れるじゃないか。通ってみろ、さあどこが邪魔になるんだ? 生意気な、人の肩を小突きやがって! 車掌なら車掌らしく、もっとおとなしくしろ。それで車掌の役目が務まると思ってるのか、馬鹿っ!」
そして彼は変に引歪めた顔を、相手の方へ近寄せてきた。
木原藤次は思わず一歩後に退《しざ》った。そして男の様子をじろじろ見調べながら云った。
「不服なら降りて貰いましょう。」
「何だと、もう一度云ってみろ! 何処まで乗ろうと俺の勝手だ。不当に乗車を拒むなら、俺にも考えがある。肩を小突いた上に、降りろとは何だ。少しは人間らしい口を利け。」
木原藤次は顔を外向けて、痩我慢の苦笑を洩らした。相手にとって悪い男だと思ったのである。そしてまだだいぶ間のある次の停留場の名を、声高に呼び上げておいて、こちらを向いてる多くの視線に答える心持で、独り呟いた。
「仕様のない酔っ払いだ。」
それを洋服の男
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