藤竜太郎の言行から、じかに糸を引いていた。彼が得意の微笑を浮べて、傲然と一人うなずいた頃、不安な気配は一層高まってきた。
 各人が我を忘れた無言のうちにありながら、群集全体として何かを感ずるそういう気分に、最も敏感だったのは、群集に馴れ親しんでいる矢野浩一だった。彼はその気分を感ずると共に、またその気分から感染されていった。そして胸をどきつかせながら、安藤竜太郎の一挙一動を、前に立並んでる人々の隙間から、宛も節穴からでも覗くようにして見守っていた。安藤竜太郎が最後の言葉を発した時、群集の一団の気分は、そのまま挫けるか破裂するかの、頂点に達した。然し破裂することはなかなか容易ではない。ましてこんな小事件だったので、安藤竜太郎が一寸間を置いたまに、もうしなしなと崩れだして、彼が一歩足をふみ出した時には、その下に踏み潰されて、引いてゆく波のような擾乱を作った。矢野浩一はその打撃がひどく胸にこたえた。云い知れぬ憤懣の念にわくわくしながら、あたりを見廻すと、自分と同じ感情に浸っているらしい、三千子の専心した眼付に出逢った。それが非常な力となった。「やっつけてやるよ、」と彼女の耳に口をあてて囁きな
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