は底本では「名剌」]をさしつけてしまった。
「万事穏便に計らった方が、皆のためになるというものだよ。」と彼は云った。
「は!」と沼田英吉は棒立になったまま答えた。
「僕は福坂署の署長とは懇意にしているから、君のこともよく話してあげよう。君の職務怠慢とはならないように、僕が一切の責任を帯びるよ。そして、君の名前は?」
 沼田英吉は一寸たじろいだ。そして暫く考えていたが、何と思ったかいきなり頭を下げた。
「名前だけは容捨して頂きます。」
 安藤竜太郎は微笑を浮べた。そして相手の肩を心地よげに叩いて云った。
「心配することはないよ、君。云いたくなければ、僕も寧ろ聞かない方が望みなんだ。では、これで引取ってくれるね。」
「はい。あなたがそう仰言るならば引取ります。」
 それでも彼はまた一応、高倉玄蔵の方をじろりと見やった。安藤竜太郎はその視線を辿って、高倉玄蔵の方へ向き直った。
「君も余り強情を張らない方がいいでしょう。兎に角腕力沙汰は控えたが宜しいですよ。相手がどんな怪我をするか分りませんからね。」
 高倉玄蔵はすっかり悄気《しょげ》かえった風で、黙って首垂《うなだ》れていた。安藤竜太郎はそ
前へ 次へ
全32ページ中25ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング