暴行が起った。彼はいつになく落付を失った。高倉玄蔵から罵られて、自分でも不思議なほどかっとなった。それから野口昌作に逃げられて、群集の中からの嘲りに出逢うと、彼は片手に佩剣の柄を握りしめた。それでもすぐには口が利けなかった。そこを相手の方から先んぜられた。
「あの男が居なくなった以上は、僕一人警察へ行く義務はない。これで失敬する。」
 そして高倉玄蔵は二足三足歩きだした。その手首を、沼田英吉はまた捉えた。
「兎も角も、本署へ同行して貰いましょう。」
「馬鹿なことを云うな。俺一人行って何にするのか。あの男を探し出して来給え。あの男と一緒ならいつでも行ってやる。取逃がしたのは君の責任ではないか。さあ捕えて来給え。俺は此処にこうして、逃げも隠れもしないで待っていてやる。俺一人を引張っていって、俺に責任を塗りつけようとしても、そうはいかないぞ。」
「然し君は兎に角、暴行を働いた本人だから、本署まで同行するのが当然だ。本署へ行った上で、云いたいことがあったら云うがいい。」
 そして沼田英吉は彼を引立てようとした。その手先を彼は払いのけた。
「あくまでも君は手向うのか。」と云って沼田英吉は相手の顔
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