の中から誰かが云った。続いて笑い声もした。
その嘲るような調子に、殊にぐいと胸を突かれたのは、巡査の方だった。
福坂警察署所属巡査、沼田英吉は、その日殊に心配があった。四五日前から子供が発熱して、毎日三十九度以上の高熱が続いた。医者は何の病気とも断定しかねた。そしていろんな徴候からして、時節柄チブスの疑いがあった。それを聞いた時、沼田英吉はひどく困却した。もし本当にチブスだとすれば、他の二人の子供にも感染する恐れがあるし、殊に病児の看護をしてる妻にはその恐れが多いし、そのために貧しい一家の生活が破綻するのは、眼に見るように明らかだった。そればかりではなく、いやしくも町内の衛生をも監督する地位にある警官の家から、伝染病患者を出したとあっては、署の人々へは勿論近所の人達へも、顔向けが出来ないような気がした。そして病児がチブスであるかどうかは、その日のうちに決定する筈だった。妻が子供の便と尿とを、朝のうちに医者へ届けた筈だから、午頃までには、遅くも夕方までには、検査の結果が明かになる筈だった。彼はその結果が分るまで、その日一日欠勤しようかと思った。然し、今迄精勤の評を取ってる名前を汚し
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