「なに、俺を警察へ……行ってやるとも。後で後悔するな。さあ来い。」
そして高倉玄蔵は、先に立って一歩ふみ出したが、その時、群集の中からちらと、見覚えのある顔が見えたような気がした。で足を止めて、周囲に立並んでる人垣を、じろりと見廻したが、もうそれらしい顔も見当らなかった。けれども、そのことが彼の頭に一片の思慮を送った。この群集の中に、学校の生徒などが交ってるかも知れない、と思ったのをきっかけに、学校……教職……体面……などということが浮んできて、警察に引かれるという汚名が、はたと胸にきた。進退に窮した形で、其処にじっと佇んだ。
「何を愚図ついているのだ?」と巡査は促した。
それを高倉玄蔵は耳にも入れなかった。地面に眸を据えたまま、暫く考え込んだ。とふいによい考えが浮んだ。相手の男を同行しさえすれば、自分の名分は立つ訳だ。
「此奴も一緒に引張って行って貰おう。」と彼は云った。
「無論だ。」と巡査は応じた。
そして二人は、其処に起き上ってつっ立ってる筈の野口昌作の方へ向き返った。所が其処には誰もいなかった。見廻しても姿さえ見えなかった。二人は茫然とした。
「逃げちまったよ。」と群集
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