彼は不覚にも気付かなかった。そして巡査から腕を支え止められて、一寸弁解の辞に窮した。
「乱暴はお止しなさい。」と巡査はきっぱり云った。
 高倉玄蔵はおとなしく手を下したが、まだぼんやりつっ立ってる野口昌作の方を顧みて云った。
「貴様のような卑劣な奴には、鉄拳が相当しとるんだ。」
「まあいいです。」と巡査は彼を制した。「穏かに話せば分ることでしょう。一体どうしたのですか。」
 高倉玄蔵はその時、巡査がまだ何も知らないでいることを見て取った。そして自分の行為を弁護する口実を見出した気で、初めからのことを説明した。所が車掌に逃げられたあたりになって、ひどくまごついてしまった。それをむりやりに云い進んだ。
「車掌を引留めておいては、他の乗客の迷惑になると思って、すぐに発車さしてやった。所がこの男まで一緒になって逃げようとするから、引据えたのだ。」
「嘘を云え。」と野口昌作は俄に元気づいたかのように、初めて口を開いた。「貴様は車掌を取逃した口惜しまぎれに、俺を殴ったのだ。車掌の方も悪い点があるからこそ、逃げ出してしまったじゃないか。さあ貴様は、俺に無法な拳をあてておいて、この始末は何とする? 謝
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