云い寄ることをしなかった。然るに内々探りをかけてみると、向うでも多少こちらに気のあるという、自惚の念が湧いてきた。そして機会ある毎に二人きりになる方法を講じた。その晩も丁度彼は三千子と落合って、二人で活動写真を見にいった。息をつめて腰掛に蹲っていると、彼女の温みが伝わってきた。しまいには我慢しかねて、彼女の手をそっと握った。彼女は暫くじっとしていたが、やがてその手先を振り払った。彼はすっかり面喰った。そして更に困ったことは、彼女は写真の終るのを待たないで、面白くないから出ようと云い出した。彼はすごすごと後にしたがった。それから街路を、何処へともなく歩いてるうちに、彼は変に胸苦しくなってきて、丁度一人で彼女のことを思い耽ってる時と、同じような心地になった。そして堪えきれなくなって、そっと云い出してみた。
「怒ってるの。」
「何を!」
 振向きもせず答え返して、彼女はつんと歩いていった。
「僕があんなことをしたからさ。」
「どんなこと?」
 彼はぷっぷっと唾を吐いた。それを横目にちらと見やって、彼女はくすくす笑い出した。
「何を笑ってるんだい!」
「怒ってるの。」と此度は彼女の方から尋ねかけてきた。
「白ばっくれるのもいい加減にしろよ。」
「あら、どちらが白ばっくれてるかしら?」
「君の方さ。」
「御自分じゃあないの。人の手を握ったりなんかして……。」
「だからそのことを云ってるんだよ。」
「私大嫌い、あんなでれでれした真似は!」
「おい三千《みっ》ちゃん、本気で云ってるのかい。それじゃあ君は、僕が嫌なんだね。」
「嫌じゃあないわ。」
「じゃあどうしたんだい。僕は真面目なんだよ。ねえ、僕のスイートになってくれない。仲よしでもいいや。本当に僕は一生懸命に想ってるんだよ。君のためなら何でもするよ。監獄にはいったって構やしない。しろと云えばすぐにするよ。ねえ、いいだろう。」
「よかったり悪かったり……。」と彼女は歌うような調子で云った。
「じゃあ勝手にしろ。知るもんか。」と彼は怒った風を見せた。
「怒らなくってもいいわよ。……だから二人で歩いてるじゃないの。」
「歩いてたって何になるもんか。」
 むりに脹らました彼の頬を、彼女は人差指でつっ突いた。そのために彼はぷっと放笑《ふきだ》してしまった。
 そんな風な話をしながら歩いてるうちに、二人は人だかりに出逢ったのだった。そして
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