その喧騒のなかから、すっと背のびをして、角刈の肩のこけた男が立現われ、ふらふらと席を離れて、室の真中までくると、これより奥へふんごんで……と、首を縮め手足を張って、ゴリラみたいな恰好をしたかと見るまに、ひょいと潜り戸を押して、スタンドの向うにはいっていった。そこへサチ子が、すばやく、真顔になって、追いすがっていったので、彼は一寸とっつきを失って、スタンドによりかかり、いやに酔っ払いらしい息を長く吐いたが、サチ子の肩を片手で抱いたまま、くねくねと身を起して、いらっしゃい……と、しゃ[#「しゃ」に傍点]に力を入れてマダムの声色を使ったのだった。それがきっかけで、誰か「ドラ鈴」になってはいってこい、俺がマダムになって、例のところを一芝居うとうというのである。そしてみんなの喝采のうちに、それでも誰も立上らないので、その向うの席に一人でぼんやり、卓子に肱をついてる岸本の方へ、眼を移してきた。
「あんた、学生はん、一役買うて……。」
 云いかけて彼は口を噤んでしまった。かたりとコップで卓子を叩く音がして、彼がとまどった拍子に、ひょいと、右手をあげて、おどけた失敬をしてみせたとたん、コップがと
前へ 次へ
全28ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング