るのか、聞えないのか、澄しきった様子で、サチ子と笑顔で何か囁きあいながら、夜想曲に耳を傾けてるのであった。「若禿」はまだ岸本の手を握りしめて、饒舌り続けてるのである。
「君を、君のような純情な青年を、マダムの目附役に選んだのは、依田氏もさすが眼が高い。君は大任を帯びてるんだ。いいか、しっかりやり給え、そこで、僕も、君に大任を果さしてやるために、その一助にだ、君の立合のもとに、マダムに結婚を申し込む。僕がいの一番で、そうだろう、先約なんだから、これからは、僕の承諾なしに、マダムには指一本さすこともならない……とこういうわけさ。目附役の君が証人だ。いいか、証人は神聖な誓いだ。改めて僕は、依田氏の許へも、結婚の申込をする。マダムとその娘と……三人の新生活だ。おう神よ……というところだが、僕は今……なあに、酔ってやしないんだ。君はまだ青二才で、人生の奥底は分らない。だから、僕のこの胸中も分らないだろうが、マダム……マダムなら分ってくれる。そういうわけなんだ。そのわけが、君にも今に分るようになる。だから、しっかりし給えというんだ……。」
 本気だか酒の上でだか、そこのところは分らなかったが、その
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