お勘定はこちらに……と、すまして、どやどやと、出て行ってしまったのである。マダムは顔色さえ変えず、いつものように、知的な顔に微笑を浮べて、そんなのをも迎え送るのだった。その虚心平気な態度を、岸本は感歎の念でまた見直すのだった。
 ところが、或る晩、岸本が少々酔って、帰りかけると、扉の外に「若禿」がよっかかるようにして立っていた。童顔の頭が禿げかかって近眼鏡をかけてる、一寸胡散にも利口にも見える背広の中年の男で、いつも一人でやってくる常連のうちだったが、それが、先程からそこに立っていた様子をごまかそうともせず、ほほう……と岸本の顔を眺めて、丁度いいところで出逢ったから、一緒につきあってくれと、もう既に酒くさい息を吐きながら、岸本の肩をとらえて、バーの中へでなく、ほかの方へ引張っていくのだった。そして近くのおでん屋へ引張りこんで、一体あんたはマダムに惚れてるのかどうかと、突然尋ねだしたのである。岸本が言下に強く否定すると、彼は握手を求めて、あんたは正直だから信用してあげると、他愛なく笑ってしまうのだったが、暫くすると、ほんとに惚れていないのかと、またくり返すのだった。そして、僕はあんたの云
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