といった感じに似ていた。彼女に対する気持は、小母さんというのとはまるでちがっていたが、話の調子は自然とそういう風になっていった。地肌の浅黒い洋装の娘が――サチ子が――帰ってくると、彼女は思い出したように立上って、甘いカクテルを拵えてくれた。それから、蓄音器のそばに連れていって、レコードを幾枚も取出し、好きなのをかけてあげようと云った。然しレコードのことなんか、岸本には更に分らなかった。三人連れの大学生がはいって来たので、岸本は勘定をして帰ろうとしたが、彼女はどうしても受取らないで、この次から頂くことにすると云うのだった。そうした彼女が、岸本には、まるで「東京」と縁遠いもののように思われた。
然しその彼女も、何度か彼が行くうちには、次第に移り動いて、スタンドの上から客と応酬し、時には自分もリクールに唇をうるおして談笑する、バー・アサヒのマダムとなっていった。それと共に、岸本も洋酒の味を知るようになった。それでも岸本の心の奥には、小母さんとも云いきれず、マダムとは猶更云いきれず、それかって恋とか愛とかの対象とは更に縁遠い、何か夢の幻影みたいなものが、はっきり残っているのであった。
それをどう説明してよいか、岸本は自分でも分らなかったのである。それさえはっきりすれば、マダムと「ドラ鈴」との肉体的関係のないことなどは、一度に分る筈だった。
「とにかく、何の関係もないことは、僕がよく知っている。」
岸本はそう云いながら、やはり室の中をのっそり歩いていたが、みんなは、知ってるだけでは分らない、うまくしてやられてるんじゃないかな、としきりに揶揄してくるのだった。一寸考えなおしてみれば、何でもないことで、どうでもいいじゃないかと投げ出せることだったが、そいつが妙にこんぐらかって、その上、彼等のうちの、髪をきれいに分けた、顔の滑かな、時々、芸妓なんかを連れてくることのある、若旦那風の角帯の男が、黙ってにやりにやりしているのが、いけなかった。マダムのために一杯飲もうと、ビールの杯を挙げるような男だが、そいつが、黙っておもてで笑いながら、裏からじっと覗いてるようだった。畜生、と足をふみならしたいところだったが……。
そこへ、マダムが帰ってきた。へんに混血児らしい知的な顔をつんとさして、幾重もの意味を同時にこめた笑みを眼にたたえて、お辞儀とあべこべに身体を反らせて……。
「まあ、皆さん、留守をしてすみませんわね。」
急に明るくなったような室の中に、背がすらりと高くて、頬の薄い白粉の下にほんのりと紅潮している。やあ! とみんなが、拍手ででも迎えそうな気配のなかに、岸本は一人逆らって、今小母さんの噂をしてたところだと云ってしまった。そう、いない者はとかく損ね、とそれがまるで無反応なので、岸本は云い続けた。
「小母さんが、あの……依田さんと関係があるとかないとか、そんなことが問題になっちゃって……。」
彼女の眼がちらと光ったようだったが、瞬間に、それはとんだ光栄で、何か奢らなければなるまいと、更に無反応な結果に終ったのであったが、男達の方ではその逆に、へんに白け渡って、岸本の方をじろじろ見やるのだった。岸本は席に戻って、煙草の煙のなかで、考えこんでしまった。そこへ、蓄音器が鳴りだし、それに調子を会して、彼等が敵意的な足音を立て初め、マダムはスタンドの向うに引込んで、何やら書き物をしていた。
そして彼等が出て行くまで、出ていってから後まで、岸本はじっとしていた。するとサチ子がやってきて、面白そうに笑い出したのだった。思いだしたのだ。あんな乱暴をしちゃいけないわ、と云い出した。
「あんな奴は嫌いだ。」と岸本はふいに云った。
「だって、土地の人だから、仕方ないわ。」
十七の娘にしては、ませた口を利いて、彼女は囁くのだった。マダムのことをいろいろ聞く人があるけれど、知らないといって笑ってると、チップを余計くれるんだと。岸本は嫌な気がして立上ると、マダムは向うから、いつもの調子で、晴れやかに笑ってくれるのだった。
岸本は外に出て、息苦しかったのを吐き出すように、大きく吐息をした。
そのことがあってから、岸本は妙に人々から目をつけられてるのを感じたのだった。上野広小路の裏にあるそのバーは、場所のせいか、客には土地の商家の人々が最も多く、会社員は少く、学生は更に少なかったので、学生服のことが多い岸本は、よく目立つ筈だったが、それが逆に無視された形になって、誰の注目も惹かないらしかった。彼の無口な田舎者らしい引込んだ態度も、その一因だったかも知れない。ところが、あのことがあって以来、顔馴染の客は大抵、彼を避けると共に、彼の様子にそれとなく目をつけてるらしいのが、次第にはっきりとしてきた。そうなると彼も意地で、なお屡々通うようになった。別に何というあて
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