頭の中に妙にぼんやりしたものが残ったのである。
 田原さんはまた二人の所へ帰って来た。
 其処にはバナナと冷やした牛乳とが出されていた。彼は砂糖の甘い牛乳にバナナをつけて食べた。
「良助はまだ帰って来ないか。」と田原さんは尋ねた。
「まだですが、もう間《ま》もなく帰るでしょう。」
 それから田原さんは二階の書斎に上った。毎日午後に昼寝をして、それから夕食まで書斎に籠ることは、彼の殆んど毎日の日課であった。
 書斎には和洋の書籍が沢山つめこまれた本箱が二つ据えてあって、その中央に紫檀の机が一つあるきりだった。田原さんはその机に向って、時には専門の電気に関する新著を披いたり店の経営に関する考案を廻らしたりすることもあったが、多くは古今の物語り類を耽読したり、机の上に頬杖をついて外を眺めたりした。家政の余裕と店の地盤の強固とは、彼を多く閑散な地位に置いていたのである。
 家は本郷の西片町の高台の外れに在ったので、窓を開け放すと、植物園一帯の高地がすぐ眼の前に展開せられた。その右方に白山の森があり、左方に離れて砲兵工廠の煙筒が聳えていた。田原さんは、或はその静かな森を顧み、或はその渦巻く煤煙を
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