口を噤んでしまった。然しそれは別に父を憚ってではなかった。自然に二人の心がそちらへ引きつけられたからである。
父は重い足どりで歩いて来て二人の所へ顔を現わした。
「お眼覚めですか。」としげ[#「しげ」に傍点]子が云った。
「ああ。」
「今日はわりにお早いんですね。」と重夫が云った。
「それでもぐっすり寝入ってしまった。昼寝はよくそして短く眠るに限るね。」
然し乍ら、田原さんは如何にも陰欝な顔をしていた。濃い眉根から広い額へかけて、彼がいつも怒った時に示すようなかすかな竪皺が寄っていた。そして長く濃い口髯に半ば隠された口元には、意力の欠乏を示す空虚が漂っていた。
「誰も来なかったか。」
「いえどなたもお見えになりません。」
田原さんはその答えをきいて、軽く頭を横に傾げた。それから冷たい水で顔を洗うために勝手許へ行った。
水で顔を洗い、それから頭まで洗ってみると、田原さんは先刻の感情がいつしか消え失せて、頭の中が妙にぼんやりしているのを感じた。然しそれはまだいくらかよかった。
先刻の感情と云うのは、彼が昼寝から覚める時に覚えた感情である。
何か淋しい引入れられるようなものが彼の
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