いや或る習慣が出来たり無くなったりするには一定の時期がいるものだ。」
「それでもお父さんは余りに寛大すぎますよ。」
「そう……。」
 田原さんは何やら云いかけたが、そのままぷつりと言葉を切ってしまった。それで重夫もそれきり口を噤んだ。
 その晩田原さんは遅くまで眠れなかった。室の中が、そして蚊帳の中が妙に暑苦しかったので、彼はそっと起き出て、縁側の雨戸を開いた。
 星明りの、そして空気が澄み切った静かな晩だった。田原さんは庭に下りて行って大きく胸を開いて呼吸をした。それから急に庭の隅々を透し見た。何だか人の気配がしたようであった。然し其処には誰も居なかった。ただ植込の下影が、脅かすように真暗であった。
 田原さんは庭の中を歩き出した。そして暫くすると、彼はいつのまにか、良助が寝ている玄関横の四畳半の戸口に近寄っていた。そして彼はその戸口から耳を澄した。戸は閉め切ったままで、中からは何の物音もしなかった。
 時間が静かに過ぎていった。
 と突然田原さんは一歩退った。そして急に我に返ったようにあたりを見廻した。頭が硝子のように恐ろしくはっきりしているのを彼は感じた。それから何かに対して身構
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