濃い闇がしいんと静まり返りながら、空の仄蒼い反映を漂わしていた。黒い松の向うには、庭石が白く浮出して、芝生の葉末がきらきらと光っていた。
 田原さんはふと何かに喫驚して我に帰ったように立ち止った。そして良助の方へふり返った。
「もう寝るがいい。」
 その声は何処か力が抜けて空洞のような響きをした。
「はい。」と良助は答えた。
 田原さんは其処に良助を残したまま、ずんずん家の中にはいっていった。

     五

 徳蔵は月に三、四回は必ず田原さんの所へやって来た。
 そしてみよ[#「みよ」に傍点]子は毎朝田原さんの家に牛乳を配達して来た。
 牛乳の配達は十二の少女としては可なり収入のある仕事であった。彼女は乳屋から十本余りの牛乳を受けてそれを朝早く配達した。乳屋の方にも客の方にも此の可憐な少女に対する同情があった。然し冬の寒い時など、それは可なり彼女にとって痛々しい仕事であった。耳朶《みみたぶ》は大きく凍傷のために脹れ上り、頬は赤くかじかんでいた。そして手足が氷のように冷え切った。それが春になり夏になると、耳朶は小さく薄くなって赤い血管がすいて見え、頬には幼い色が上って、白い柔か
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