れから静かに答えた。
「判断は理解の後に来るものだ。然しそんな抽象的な議論はお前達のような若い者に譲るとしよう。だがお前にはまだ人間というものがはっきり分ってはいない。……何だったかね、そうそう徳蔵のことだ。妻を失ったことが徳蔵にどんな打撃を与えたか、お前には分るまい。お前も知ってる通り、徳蔵はこの家から出て後ずっと砲兵工廠に働いていた。彼の妻は家の中で内職をしていた。そして貧しい中に良助とみよ[#「みよ」に傍点]子とを育てていたんだ。そのうちに突然妻が死んだ。良助は今の通り家に来ることになった。徳蔵はその時から酒を飲み出したんだ。今日も彼は云っていた。『人間には心の中に火を燃すことが大事だ。私等のような者は酒で火を燃すより外仕方がない。』そのことをよく考えてごらん。今分らなくても、お前にもいつかそのことがはっきり分る時が来る。」
 重夫は珍らしい父の雄弁にじっと耳を傾けていたが、やがて云った。
「私にも大体は分ります。然しただ分っただけで、その先をどうしようということがなくちゃ、何にもならないじゃありませんか。」
「何にもならないと云えばそれまでだがね……。」
 その時田原さんは、眼
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