やさしい調子でこう父に話しかけた。
「今日もいつものように徳蔵に金をやられたんですか。」
「ああ少しくれてやった。」
 田原さんはただそう答えた。声の調子は如何にも落ち附いていた。
「然しああ云うずぼらな奴にいつも黙って金をやると、益々図に乗って来ますよ。」
「なに大丈夫だ。それに私《わし》はだんだん徳蔵の気持ちが分って来るような気がするんだ。」
「お父さんはいつもそんなことばかり仰言るんですけれど、ちっとも物に価値の区別をつけられないんですね。お父さんのはいつも解釈ばかりなんです。それも余りに善意な解釈ばかりなんです。少しも判断ということをなさらないんです。」
 哲学に趣味を有し高等学校の独法科に通っている重夫にとっては、凡てのことに判断と裁決とを要するのであった。彼の持論はこうであった。単なる解釈は社会を向上させはしない。社会を向上させるには判断と裁決とを要する。其処から彼は時として、尊敬する父に対しても抗議を提出することがあった。彼の眼はいつも若々しく輝いていた。頬には紅い血が流れていた。凡てにぶつかってゆく力が彼のうちに充ちていた。
 田原さんは重夫の方へちらと一瞥を与えて、そ
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