と、彼女には村で三人ばかりの若者と情交があるらしい。三好屋の二階には、深夜、けちな賭博の集りなどもあるらしいとのこと。
「そろそろ、出かけましょうか。」
 宗吉が投網を肩にかけ、宗太郎が龕燈をさげている。私は竹編みの魚籠を持つ役だ。
 もし不在中に花子が荷物を取りに来たら、困ることになるかも知れないと、私はちらと考えた。お祭りの晩あたりに……と彼女は言った。然し漠然としたことなので、馬鹿正直に待ってるにも及ぶまい。
 ドーン、ドーン、ドンドコドン、ドーン、ドーン……
 かすかに、八幡様の方では太鼓が鳴っていた。道路はほんのり白いが、四辺はもう暮れてしまっていた。
 宗吉の家は小高い台地の上にある。だらだら坂を降りると、稲田の匂いが夜気にこもっている。路傍の雑草にはまだ露はおりていない。その田圃道を無言で五六町行くと、大きな堤防に出る。堤防の向うが広い河原で、清い水が瀬を作り淀みを作ってうねうねと流れている。
 水の浅い岸辺や、流れのゆるやかな瀬に、夕方から、川魚は餌をあさりに出ている。それに投網をかぶせるのである。
 宗吉が相図をすると、私と宗太郎はそこの河原に立ち止る。宗吉は一人すたすた歩いてゆき、時には河原から、時には浅瀬にふみこんで、下手から上手の方へ水脈を物色しながら網を投ずる。その水音と共に、私たちは駆けつける。宗太郎が龕燈の光りをぱっと差しつけると、魚は突然光りに酔う。網は手繰られてしぼられ、河原に引き上げられる。きらきらした銀鱗が見える。網の袋を繰って、魚は河原に放り出される。そのぴちぴちしたやつを、私と宗太郎が魚籠に拾い込むのである。ハヤ、フナ、ハゼ、ドンコ、時には、アユ、ナマズ……雑多なものが捕れる。
 この投網の夜打ちは、なかなか楽しい。河水は方々の堰で水田へ引いてあるから、河原は広く、玉石のところもあれば砂のところもあり、青草が生えてるところもある。足袋はだしで駆け廻っても躓くことはない。さらさらと流れてる清い瀬には、たくさんの魚が泳いでいそうな気配があるし、夜気も水も同じような温度で、肌寒さは感じない。そして初秋の空は、星を鏤ばめてあくまでも高い。ただ、物陰だけがちと薄気味わるい。竹籔の陰、灌木の陰、木立の根本の深い淵陰、へんに闇の色が澱んで、何かが潜んでいそうだ。人間とは縁の遠い未知の、怪しい奴である。其奴に対しては、投網も、何の役にも立たない。龕燈の光りも、僅かな範囲にしか届かない。だが、そうした物陰もこの辺には少く、河原や水面は清く爽かに拡がっている。
「今晩は不漁だな。」宗吉は呟いて、網をじゃぶじゃぶ洗った。
 まったく、その晩は獲物が少なかった。型も小さかった。だいぶ上まで溯ったが、いくらも捕れなかった。それでも、食膳に野趣を添えるには充分だ。魚籠の底には、鮮鱗が青白く光っている。
 堤防に上り、田圃道をぬけて、家へ戻る。どういうわけか、この投網の夜打ち、往きも帰りも無言がちだ。村中も通らない。身も心もすっかり、大自然の夜気に浸しきった気持ちである。
 ドンドコ、ドンドコ、ドーン、ドーン……太鼓の音がまだ聞えていた。
 魚の料理は下女に任せて、私たちは顔や手足を洗った。宗太郎は着物を換えて八幡様へ出かけて行った。母が酒肴をさげてそちらへ行ってるのである。私は宗吉と差し向い、隠居所の室で酒をくみ交した。

 宗吉は私より年上で、長兄の友人なのだ。ふだんは私に丁寧な言葉遣いをし、酒がはいるとぞんざいな口を利く。
「どうです、仕事は捗取りますか。」
 なんども同じことを聞かれた。研究所の調査と整理の急な仕事があって、暫く他事の煩いなく専心勉強が出来て而も安価に滞在出来る所はあるまいかと虫のいいことを兄に相談すると、兄はすぐ宗吉の家の隠居所を勧めてくれた。隠居所に建てた室だが、その隠居が亡くなって空いており、見晴しもよく、閑静で、而も東京に近く、田舎の食物さえ辛棒すれば理想的な所だと言うのである。全くの田舎だが、来てみるとなるほど仕事がよく出来た。宗吉もめったに私の邪魔をしないようにしているらしい。あと一週間ぐらいで私は東京に帰るつもりだった。
「へえー、あと一週間ね……。」なにか心残りらしい面持ちなのだ。
「また御厄介になりに来ますよ。」
「そいつが、当にならん。兄さんもそう言ったが、あれっきりだ。然し、田舎はつまらんでしょう。」
「東京もつまりませんよ。時々出ていらっしゃるから、お分りでしょうが、何もかも薄っぺらになっちゃいましてね……。」
「はは、そりゃあそうだ。」
 鍋の鶏肉はもう煮えたっているし、野菜の煮附は大丼に盛ってあるし、先刻の川魚は甘煮にして大皿に並べてあった。そして手製のドブロクが何よりも上味だった。
「つまり、大戦のおかげで、東京と近在の田舎とが、いろんな点で平均してきたわけだな
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