し、翌朝、からりと晴れた陽光を見ると、すべては他愛なく消え去ってしまった。局面は一変して、現実の事態のみが残った。
 宗吉は村での知能ある強力者として、朝から飛び廻り、警察の方とも連絡を取っていた。私は彼からだいたいの事情を聞いた。
 花子はその夕方、焼酎をひどく飲んで、ふらふらに酔っ払っていたそうである。そしてぶらりと外に出たきりだった。死体に外傷はなく、水も大して飲んでおらず、酩酊のあまり川に落ちて、心臓[#「心臓」は底本では「必臓」]が痲痺したものと、推定された。驚かれるのは、妊娠してることだった。
 彼女が何故に杉の沼のほとりまで行ったか、それが疑問だった。ところが、噂の通り彼女には三人の情人があった。その三人とも、その日暮に河の堤防まで来てくれと彼女から呼び出しを受けたと、警察で、同じような申し立てをした。そして三人とも行かず、八幡様のお祭りで飲み騒ぎ、アリバイの証人は沢山あった。――後で、三人は村人の笑い話の種となった。
 翌日の夜、私のところへ、宗吉が町の警官を同道してきた。私が花子と何の関係もなかったことを弁護するのに大骨折りをしたと、宗吉は警官の前で明けすけに話した。
 三人立ち合いの上で、花子の小さな柳甲李は開かれた。意外なほど粗末な衣類ばかりだった。ぺらぺらの金紗の着物が最上等で、ふだん着同様な着物や帯や長襦袢ばかりだ。ただ、上等の帯締と絹のストッキングが幾つもあった。古めかしい金襴の袋にはいってる鬼子母神様の御守札があった。――後で分ったことだが、彼女は幼時ひどく病弱で、亡祖母は彼女のために鬼子母神をたいへん信仰して、守札はその祖母から貰ったものだった。
 私のところにあった柳甲李のことは、どこからともなく村人たちの耳に伝わり、二様の解釈が下されたらしい。一つは、私と花子と何かの関係があったらしいという意見であり、一つは、出奔の荷物なら私によりも三人の情人の誰かに預ける方がよかったろうという意見である。その両方に対して共に宗吉はひどく腹を立て、私の前でも罵った。
 柳甲李の秘密が明るみに出てから、私は花子の事件に興味を失ってしまった。と同時に、私は別のことを感じた。私自身はやはり村人にとってはあくまでもよそ者であったこと、この田舎にはやはり古い伝統が根深く残ってること、私の神経はちと田園向きでなく繊細すぎること、などである。
 私をかすめた死
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